

アクセスで子ども教育プログラムを担当しています、サンドラ・リン・レファソです。
小学生時代から働き、ハイスクールを卒業
アクセスで子ども教育プログラムを担当しています、サンドラ・リン・レファソです。1991年6月1日生まれです。ごく普通の人間ですが、子どもの頃は生活がかなり大変でした。
私は、学費のほとんどを自分でまかなって小学校を卒業しました。その後、ハイスクール(日本で言う中1~高1)でも勉強を頑張り、常に優等生でした。学校では生徒会長になり、クイズ大会や朗読・スピーチ大会など、いくつもの大会にも参加しました。
勉強をしながら、毎週土曜日と日曜日には叔母の店で店番をし、平日の午後3時間は洗濯の仕事もしました。また、学校で必要なものを買うために、野菜を売りました。学費に使って余ったお金があれば、米を買ったり、きょうだいの小遣いにしたりしました。
そうして、なんとか2007年にハイスクールを卒業しました。
長女として一家を背負った10代
私たちは10人きょうだいで、私は長女です。父は小作人としてココナッツ農家をしていますが、父の収入だけでは十分ではありません。母は家にいて、年下のきょうだいの世話をしています。
家計が苦しかったため、両親には私を大学に行かせる余裕がないと分かっていたので、勉強を続けながら働くことにしました。
当時私はまだ16歳で、法律上働ける年齢ではなかったため、仕事を見つけることができず、通っていた大学の司書の子どものベビーシッターを始めました。朝は会計学の授業を受け、夜は子どもの世話をしました。子どもの隣で寝て、朝早く起きて、朝食を作ったり洗濯をしたりしました。仕事と勉強、復習のため、ほとんど夜明けまで起きていることもありました。きょうだいが多かったので、子どもの世話自体は問題ありませんでした。
大学1年目を終えた2008年、父が体調を崩し、背中と腰がいつも痛むようになりました。調べたところ、父には腎臓の問題があることが分かりました。父は1か月半入院し、母が父の世話をしました。その間、祖母がほかのきょうだいの面倒を見てくれました。私は自分の給料を、きょうだいの必要なものや母の食費、その他の病院費用のために使いました。それでも足りない分は一年分の給料を前借りしてしのぎました。
17歳にして私はまるで家族全員を自分の肩に背負っているように感じていました。
「やっぱり学びたい」と大学へ
私たちには助けを求められる人がいませんでした。政府にさえ頼ることができませんでした。私たちは小さな島に住んでいて、町との間を行き来するボートも1隻しかなかったため、政府の支援にたどり着くことが非常に難しかったのです。
とうとう、私は勉強をやめてフルタイムで店員として働かなければなりませんでした。そして気がつけば、学校に戻ることを忘れてしまっていました。きょうだいと両親をずっと支え続けていたため、それ以外に選択肢がなかったのです。
しかし、父が病気から完全に回復した後、私はやはり勉強を続けたいと思い、ケソン州アラバットで6か月間コンピュータ・プログラミングを学びました。もちろん、その際の学費も自分で稼ぎました。
愛情深い夫との出会い
アラバットで暮らしていた頃は、祖父母と一緒に暮らしていました。そこで4年間、私の学費を支えてくれた現在の夫、ハーバート・レファソと出会いました。2010年8月、19歳で私は彼と結婚しました。
彼は電気技師で、とても良い人です。料理、洗濯、家の掃除などの家事も手伝ってくれます。仕事が休みのときや仕事から帰ってきたときには、子どもたちの世話もしてくれます。息子の学校の保護者会にも参加してくれます。彼は思いやりがあり、優しく、愛情深い人です。私に何かあるときは、いつでも支えてくれます。
私たちの家族と結婚生活は、経済的に苦しい時期を経験しながらも、うまくいっています。
幼稚園教員を経てアクセスのスタッフに

2015年24歳の時に、私は公立の幼稚園で働くようになりました。しかし、給料以外の保険や福利厚生はありませんでした。30人の子どもたち(午前のクラス15人、午後のクラス15人)を4年間教え、世話をするのは簡単なことではありませんでした。
2019年6月、28歳のときに、私はアクセスのフェアトレード事業担当スタッフとして採用され、2022年8月まで働きました。その後、子どもとの時間を優先するために退職しました。
そして2023年3月、31歳の時に再びアクセスのスタッフになりましたが、この時は臨時のスタッフでした。子ども教育プログラム担当スタッフの1人が出産のため休職し、もう1人が退職したため、ポジションが空いていたのです。そして2023年9月に、正規スタッフとして採用され、現在まで働いています。
私の9人きょうだいたち
次は私の育った家族について話します。現在、私の父はカグバレテ島のバランガイ議員をしています。きょうだいの現在は、次の通りです。
- 長男(34才)は企業のドライバーとして働いており、現在同棲しているパートナーがいますが、まだ子どもはいません。
- 次女(32才)は独身で、現在教師をしています。
- 三女(31才)は結婚しており、子どもが3人います。サンバレス州スービック市の建設会社で会社秘書として働いています。彼女は、3年間のビジネスマネジメントコースを修了しました。
- 四女(30才)は大学に3年間在籍。パンデミック時は、勉強に必要な電子機器がないままオンライン授業や在宅学習を強いられ、とても苦労しました。現在は融資会社の営業担当として働いています。
- 次男(29才)はハイスクール卒業後、ラグナ州の工場で働いています。先日、日本での雇用先が決まり、日本語を勉強したり、健康診断を受けて出発に向けて準備を進めています。
- 三男(26才)は大学の1年生で、実家で暮らしながらビジネスを専攻しています。
- 五女(20才)は現在、大学一年生で、ビジネスマネジメントを学んでいます。
- 六女(18才)は高校3年生
- 七女(15才)は中学3年生
夫婦できょうだいの学業を応援
私はすでに結婚していますが、今でもきょうだいたちの学業を支援することができていることを嬉しく思っています。そして夫も、そのことを理解してくれています。彼自身も勉強を続けられなかった経験があるから、勉強を続けたい私のきょうだいをサポートしてくれています。
もちろん、両親もきょうだいたちの教育を支援しています。また、母は2015年から2021年まで政府の4Ps(貧困世帯向けの子ども支援プログラム)の受給者でした。
私は今でもときどき「大学を卒業できなかったこと」を後悔することがあります。でも同時に、もし私が自分の学業のことだけを優先していたら、きょうだいたちの今はなかったかもしれないとも思います。
今ではきょうだいたちが、私に喜びを与えてくれ、彼らの将来のためにもっと頑張ろうという力を与えてくれています。私は、自分自身では叶えられなかった夢を、彼らには実現してほしいと思っています。
そして、優しく、愛情深く、思いやりがあり、私と子どもたちを支えてくれる夫がいることにも感謝しています。私たちは今でも彼と一緒に、同じ道を歩んでいます。
現在、私たちには2人の子どもがいます。高2(15歳)の男の子と、2歳の女の子です。
サンドラと一緒に子どもたちを応援してください!
子ども時代から身を粉にして働き、家族を支えなければならなかったサンドラ。もしNGOの教育支援が身近にあったら、きっと彼女はこれほど苦労することはなかったでしょう。
「学び、遊び、いろんな体験をし、しっかり休む」。
そんな当たり前の子ども時代を全ての子どもたちに届けるために、サンドラはアクセスの現地スタッフとして懸命に働いています。働きながら学ぶことの苦労を骨身にしみて知っているサンドラだからこそ、厳しい環境にある子どもたちやその家族の想いに沿った支援を届けることができています。
320人の子どもたちに基礎教育のチャンスを届け、支援活動に従事する現地スタッフに最低賃金以上の給与を支払うためには、あと22人の子どもサポーターが必要です。ぜひ子どもサポーターになって、子どもたちを応援してください!
