認定NPO法人アクセス 理事長 野田さよ
「物乞いされた時、さよさんはお金を渡しますか?」
今回のフィリピン滞在中も、何度かこの話題がでた。もしお金を渡したら、働かなくても稼げると思わせてしまうかもしれない。依存を生むかもしれない。働くことの重要さに気づいてほしい…。そんな理由で、お金を渡すことへの抵抗感を抱く人は多いと思う。私もかつては、ホームレスの人たちに対して「なんでアルバイトを探したりしないんだろう」と、思っていたことがあった。
今はそんな風には思えなくなった。
40年以上生きてみて思う。
この人もきっと、かつては働いていたのだ。仕事を必死で探していた時期もあっただろう。それでも仕事が見つからなくて、途方に暮れ、必死にもがいて、あがいて、絶望して、葛藤した結果として、「物乞いをする」という今に行きつかざるを得なかったのではないか。手を尽くし切って、どうにもこうにも今日食べるものを得る手段がなくて、初めて「物乞い」をしたその日、その人はどんな気持ちで過ごしたのだろう。
誰だって、自分の置かれた状況の中で、できる限りの手を尽くして生きている。例え今その人が「怠けている」「頑張っていない」ように見えたとしても、その背景には必ずそこに至らざるを得なかった理由がある、と今は思う。
一通行人でしかない自分。手を伸ばしてくるその人に、私ができることはほとんどない。お金を渡しても渡さなくても、私はその人の人生に責任を持つことはできない。
ここ10年の私は、お金を渡す時もあれば、渡さない時もある。
自分があまりに無力であることをもどかしく感じがながら、ポケットに忍ばせておいた5ペソを渡す。そのお金が本当にその人の手元に全額残るのかはわからないし、そのお金で薬物を買う可能性だってゼロじゃない。ただ「あなたの空腹が少しだけ和らぎますようにと私は祈っています」という想いを込めてお金を渡すことで、自分の中のもやもやと折り合いをつけている。
物乞いされたらどうするか?
この問いに、正解なんてない。
でも、だからってこの問いについて考えることを止めてはならないと思う。
考えて、語り合って、「今日の私にとっての答え」を出して、実践してみる。お金を渡したあと私はどう感じたか?渡さなかった私は何を感じたか?その実体験に基づき、もう一度考えて、語り合って、自分の答えをアップデートする。それを繰り返して、自分にできるアクションをやめないことが、とてもとても大事だと思う。
フィリピンに通うようになって22年。
44才になった私の今日の答えは「お金を渡したり渡さなかったりする一方で、NPO代表として、320人の子どもたちに教育支援を届け続ける」こと。あの子たちが、一生通して、物乞いという経験をせずに生きていけますように。教育を受け、自分の人生を自分で選び取るという権利を全うできるように。
物価高と円安傾向で、いつまで続けられるだろうかとハラハラし通しの日々だけど、どうしても子どもたちへの教育支援を続けたいと思う。
あと29人の「子どもサポーター」の応援が必要です!
2024年度、320人の子どもたちに教育支援を届けるために、あと29人のサポーターを募集しています。
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いただいたご寄付は、子どもたちにとって本当に必要な学用品を届けるため、そして、子どもの権利が侵害されない「安心できる家庭づくり」のためのセミナーやワークショップの開催のために、使わせていただきます。
サポーターの方には、支援するお子さんから、年2回、メッセージカードが届きます。ぜひ私たちと一緒に、子どもたちの今と未来を応援してください。