アクセス常務理事 森脇祐一
以下の文書は、2011年10月から2013年8月まで、国際経済労働研究所機関誌「Int’lecowk」誌上に「未来への扉-国際協力NGOの活動から見えてくるもの」と題して15回にわたって連載したものである。
前回(第3回)は、農村の困窮と都市への人口移動・都市スラムの形成、貧しい農漁村と都市スラムでの生活の様子について素描し、フィリピンの貧しい人々とはどういう人々なのかを概観した。今回は、NGOという形態を通じた国際協力活動の具体的な場面において、非当事者としてのNGO (とそれを支える日本の市民)が、発展途上国における貧困問題の解決に向けて果たすべき/果たすことができる役割について考えようと思う。
連載『国境を越えて』
◇第1回:ボランティアという活動 ─ 当事者運動と非当事者運動の出会いが生み出す「共」性
◇第2回:国際協力とボランティア性
◇第3回:フィリピンの貧しい人々
◆第4回:非当事者として貧困問題の解決に取り組む(1)
ベーシック・ヒューマン・ニーズ
貧困問題の解決といった場合、まず必要とされるのがベーシック・ヒューマン・ニーズ(Basic Human Needs、以下BHNと略記)と言われる、生活していくうえで最低限必要なものを満たすことである。一般的には、衣・食・住、それに医療と教育を挙げることが多い。これらの財やサービスが必要を満たしていない状態を「貧困である」と、とりあえず定義しておこう。
先進国であれば、BHNを満たすことのできない人々は、政府の社会保障制度によって救済される。少なくとも戦後の日本においては、そうした理念が政策的にも実行され、具体化されてきた。だが、発展途上国の多くの国では、さまざまな理由から、BHNを満たすことのできない人の数が多い。そして政府も先進国のような社会保障制度を国民全体に行き渡らせる力を持っていない。貧困問題を解決するために、 国際協力が必要な理由である。
一口にBHNが満たされない状態といっても、緊急に支援が必要な場合と長期にわたる支援とは区別して考える必要がある。
火山噴火、地震や洪水などの大規模な自然災害、それに戦争や内戦により、生活の場を追われ、難民キャンプなどに避難せざるを得ない人々に対しては、生命をつなぐための迅速な支援が必要となる。 当面生きていくために必要な食糧や衣服、住居、それに医療サービスの提供などが行われる。厳密に言えば、このケースは恒常的な「貧困」が問題なのではない。被災によってそれまで維持・再生産されていた生活環境が破壊されることで、たとえ豊かな国・豊かな地域であっても、BHNを満たすことのできない状態に陥り、生活が維持できなくなることが問題となる。(とは言っても、より甚大な被害を蒙るのはより貧しい人たちではあるが。)だが、復旧・復興過程が進んでいく中で、外部からの支援は比較的短期間で必要でなくなる。
他方、世界には貧困が慢性的に構造化されている国や地域が存在しており、国の数においても人口においても世界の大多数を占めている。前回紹介したようにフィリピンもそうした国の一つである。これらの国や地域では、長期にわたる支援が必要になる。
チャリティーという支援方法の問題点
BHNが満たされない状態を解決するために、いわゆるチャリティー(慈善・施し)という方法が一般に行われている。BHNを満たすための金銭・物資・サービスを外部からそれらの財やサービスを享受できない人に対し直接提供する方法のことである。衣・食・住を提供する、保健医療や教育サービスを提供する等である。
だが、一般的に言って、チャリティーという方法は大きな問題を内包している。モノやサービスの提供を受ける側の依存の問題である。かつては、食糧支援を行うために飛行機で食糧を落として回ったため、住民はついに空から落ちてくる食糧を待って日がな空を見て暮らすようになった、という笑えない話がNGO業界で問題視されたこともあった。さすがに今はそんな典型的な実践例は姿を消しただろうが、チャリティーという方法が持つ本質的な問題点は変わっていない。
チャリティーにおいては、モノやサービスの提供が、支援する側から支援される側へと一方向的に行われがちである。能動的な主体はあくまで支援する側であり、支援される側は受動的な存在にされてしまう。その上、モノやサービスの提供が、必要とされるニーズに比して大量に行われるとき、住民の間に支援への依存を生み出し、支援を行うNGOや支援者への従属関係さえも生み出してしまう危険性を持っている。こうした関係の在り方は、支援される側にとって、自分たちが主体的に問題を解決しようとする能動性を殺してしまうことになりかねない。
エンパワーメント―NGOの支援の方向性
こうした反省の上に立って、NGO業界では、支援される側の問題解決能力を向上させることを支援の中心に置くようになっている。このような支援の方法を説明する際に良く用いられるたとえ話として、次のようなものがある。
「ある人が、一人の貧しい男から、その日食べるものもないと言って助けを求められたので、お金を渡した。男はそのお金でその日一日の飢えをしのいだが、次の日になるとまた空腹に苛まれ、もう一度助けを求めた。そこで、ある人は、お金を渡す代わりに釣竿を渡し、魚の釣り方を教えた。男は、毎朝釣りに行くようになり、釣った魚で生計を立てるようになった。ところが、そのうち男の隣人たちが釣り竿を貸してくれと言い始め、男は一週間に一度しか釣りに行けなくなり、また助けを求めた。そこで、ある人は、小さな船と網を与え、共同で漁を行い、漁船具を管理し、漁獲を分け合うやり方を教えた。」
このたとえ話は、「釣り方を教える」ことが、「支援」される側の自助努力と自立性、および支援の持続可能性の重要性を示し、「協同組合」を作ることが、問題解決のための集団性・組織性・計画性の重要性を示すとされる。NGOのこうした方向性は、「住民参加型の開発」ないし「住民のエンパワーメント(empowerment: パワー=力をつけること)をめざす開発」という形で定式化されてきており、住民自身が問題解決のための主体的な「力」をつけることを「支援」の主要な目的としようとするものである。
主体的な力をつけるとは、より具体的には、まず解決されるべき問題を問題として認識することである。何世代にもわたる貧困生活の中で、人々は日々の辛い生活の中にあっても変革の希望を持てず、貧しい生活状態が当たり前になってしまっていることが多い。住民が、コミュニティの問題点を出し合い、あるべき姿を話し合い、共通のあるべき姿を発見したとき、それを基準として現状の様々な問題を対象化することができるようになる。
次に、問題を集団・組識として解決していく能力を 獲得することである。様々な問題を解決しようとする場合、一人一人でできることは限られている。とりわけ幼い頃から貧しい環境の中で生活してき、潜在能力を開発する機会を十分に与えられなかった人々はそうである。 自ずと集団として共に考え、共に行動することが必要となる。そのためには、組識を作り、運営する経験と技術・能力を身につけることが必要であり、そうしたリーダーを育成することが必要である。
さらに、外部の様々な資源にアクセスする能力が必要となる。支援してくれそうなNGOを調べ連絡を取る、利用できそうな様々な基金に応募する、国会・地方議員に陳情する等々。これらの活動を通じて、問題解決に必要な情報・資金・物資・専門家などを獲得する能力である。
エンパワーメントという用語で示されるNGO活動の方向性とは、こうした住民自身による集団的な問題解決の力をいかにつけていくことができるかが最も基本的で中心的な課題であるという宣言であり、私の所属しているNGOもこうした方向性を目指していると言って良い。たとえプログラムそのものはチャリティー的であっても、チャリティーの持つ弊害を極力減らし、支援対象である受益者たちの能動性や創造性を顕在化させるために、プログラムを通じた住民の組織化、その中でのリーダーの育成、住民自身によるプログラム(の一部)の運営・組織の運営を推進しようとしている。薬の供給プログラムであれば、同時に住民の中からボランティアのヘルスワーカーを育成すべく、初期治療・手当を行うためのトレーニングを行ったりしている。デイケアセンター(フィリピンの就学前教育施 設)・小学校・奨学生といった教育プログラムでは PTAや保護者会の組織化、受益者である子どもたちの組織化を行おうとしている。古着の配布ひとつ取っても、不公平のないように住民自身が配布できるようになることは、住民のエンパワーメントに向けた一つのチャレンジである。
次回以降も、引き続き「エンパワーメント」をキーワー ドとして、国際協力活動において非当事者としてのNGOが発展途上国における貧困問題の解決に向けて果たすべき/果たすことができる役割について、整理を試みる。その中で、市民によるボランティア活動が国境を越えて形成する「共」性について、考えてみたい。
(第5回に続く)↓↓↓
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