連載 私たちはどこにいて、どこに向かおうとしているのか 「国境を越えて」パート2

アクセス常務理事 森脇祐一

連載『国境を越えて』パート2
第1回:新たに連載を始めるにあたって
第2回:「南北問題」はもはや存在しない? その1
◇第3回:「南北問題」はもはや存在しない? その2

今回のポイント:
・「レベル2」(極度の貧困から抜け出した人たち)は、貧しくない?
・貧しいかどうかを決めるのは、所得レベルを示す客観的数字ではない

今回から『FACTFULNESS(ファクトフルネス)』(ハンス・ロスリング他著、日経BP社、2019年)を批判的に検討する。

「南北問題」に関するロスリングの主張を簡潔にまとめると、次のようになる。

  1. 「南北問題」という用語で表象されるような先進国と途上国の間の「分断」は、かつては存在したが、現在(2017年)ではもはや存在しない。今や人口の大半は、中所得の国で暮らしている。そして中所得層の人々は貧しくない。生きるために必要なものはほとんど揃う。
  2. 人類は全体として進歩している。今は貧しい国々も、先進国がそうであったように、いずれ経済発展し、生活は良くなっていくだろう。

以下、個々の論点とその問題点を『FACTFULNESS』の論述に即して詳しくみていこう。

1.先進国と途上国の間の「分断」はもはや存在していない 中所得層の人々は貧しくない

ロスリングの論点を箇条書きする。

①「いまや、世界のほとんどの人は中間にいる。「西洋諸国」と「その他の国々」、「先進国」と「途上国」、「豊かな国」と「貧しい国」のあいだにあった分断はもはや存在しない。だから、ありもしない分断を強調するのはやめるべきだ。」(P37)「世界を見渡せば、国民の大半が、許しがたいほどの極度の貧困状態に陥っている国もある。一方、北アメリカやヨーロッパ、日本、韓国、シンガポールなど豊かな国もある。だが、大多数の人々はその中間にいる。」(P39)

②世界を「先進国」と「途上国」の二分法で捉える代わりに、4分類すべきだ。レベル1は一人一日当たり2米ドル以下の所得で約10億人、レベル2は2ドルから8ドルまでの所得で約30億人、レベル3は8ドルから32ドルまでの所得で約20億人、そしてレベル4が32ドル以上の所得を得る人たちで約10億人となる(P44)。こうすると、上記の「豊かな国」がレベル4、「極度の貧困状態に陥っている国」がレベル1、その間の「中所得の国」がレベル2と3ということになり、あれかこれかという単純な見方に陥らないで済む。

③「分断」は20年前までは確かに存在した。「極度の貧困の中で暮らす人々の割合」は、1966年までは50%以上で、「「例外」ではなく、「あたりまえ」だった」(P67)。1996年の段階でも29%を占めていた。ところが、1997年以降、「人類史上、最も速いスピードで、極度の貧困が減ってき」て、レベル1の人口は2017年には9%まで下がった。

④レベル1の人口が9%まで下がったということは、「ほとんどの人が地獄から脱出したということだ。」「飢餓という、人類の苦しみの根源が消え去るのも時間の問題だ。これはすごい!」(P68)

⑤他方「中所得の国と高所得の国を合わせると、人類の91%になる。そのほとんどはグローバル市場に取り込まれ、徐々に満足いく暮らしができるようになっている。人道主義者にとっては喜ばしいことだし、グローバル企業にとっても極めて重要な事実だ。世界には50億人の見込み客がいる。生活水準が上がるにつれ、シャンプー、バイク、生理用ナプキン、スマートフォンなどの購買意欲も高まっている。そういう人たちを「貧困層」だと思い込んでいるうちは、ビジネスチャンスに気づけないだろう。」(P.43)、「このレベル(中所得)に入れば、生きるために必要なものはほとんど揃う。」(P44)、「現在、世界の人口の75%は中所得の国に住んでいる。貧しくも豊かでもないが、それなりの暮らしを営んでいる。」(P39)

ロスリングが指摘している事象の変化は、学ぶところも大きい。だが、彼の世界の捉え方、貧困の捉え方については、同意できない。以下、その理由を述べる(ロスリングが具体的に示している個々の数字が正しいか否かについては検証する余裕がないため、ここでは問わない)。

1) 最大の問題点は、レベル2の人々が「生きるために必要なものはほとんど揃」い、「貧しくも豊かでもな」く、「それなりの生活を営んでい」るとしている点だ。

a) ロスリングの主張の根拠は、上記③と⑤の認識、つまり近年レベル1の人口が急速に減っており、ほとんどの人は「グローバル市場に取り込まれ、徐々に満足いく暮らしができるようになっている」という認識であろう。レベル1は、絶対的貧困と呼ばれる状態に相当していて、人間が生存するために最低限不可欠な衣食住が満たされない状態である。そこから解放される人が急速に増えているということは、レベル2の人たちの状態も改善されているであろう、と。
 レベル1から解放されることが、貧困問題解決の必要最低条件であることは、世界共通の認識と言って良い。だが、レベル2の人は世界でなお30億人いるとされる。彼らは、ロスリングの言うように「貧しくない」のだろうか?

b) 私たちはフィリピンの貧しい人たちを支援する中で、毎日ゴミ捨て場でリサイクルできるごみを拾って廃品回収業者に売ることで生活している人たちと出会った。
 私もゴミ捨て場でゴミ拾いをさせてもらったことがある。生ごみの臭いが鼻を突き、大量のハエが飛び回り、足元ではウジ虫が這いまわる。そんな中で汗まみれになりながら換金できるゴミを拾い集める。30分もしないうちに腰は痛くなり、脱水症状で頭がフラフラしてくる。
 彼らは、その日集めたゴミを換金したお金でその日を暮らす。ゴミ拾いができなければ、たちまち食べるものに困る。時には「パグパグ」といって、捨てられたご飯やフライドチキンをみつけると、腐りかけの悪臭を消すために何度も水洗いしてお粥にしたり、油で揚げなおしたりして、自分で食べたり売ったりする。
 子どもたちにとって、小学校に通うことは食べることの次だ。食べることが難しい子どもたちは、学校に通うよりも自分でゴミを拾うことを選ぶ。小学校すら卒業できない子どもも少なくない。

 彼らの1日の収入は100ペソから200ペソ。最近はペソに対しても急速に米ドルが強くなっているが、仮に1米ドル=50ペソとすると、1日当たり2ドルから4ドルということになる。4人家族で、両親だけがゴミ拾いの仕事をしているとすると、世帯収入は4ドルから8ドル。一人当たりの収入は2ドルから4ドル。まさにロスリングの言うレベル2の人たちだ。
 彼らは確かに飢餓で死ぬことはない。現金収入があれば、食べるものを買うことができる。子どもたちを小学校に通わせることもできる。拾ってきた廃材やビニールシートを使って自分で家を建て、雨風をしのぐこともできる。家の中は可能な限りきれいに保たれ、家族そろって食事をとることに幸せを感じる。
 だが、彼らよりもはるかに「豊かな」生活をしている人が、こういう人たちを「貧しくない」というのを見聞きすると、私はとても腹が立つ。

 親たちは、彼らの多くは毎日冗談を言い合って笑って過ごしているけれど、自分たちはもちろんのこと、子どもたちがこの生活から抜け出すチャンスをほとんど持たないことに絶望しながら日々を文字通り苦闘して生きる。現実に押しつぶされ、麻薬やアルコールに染まる人も多い。そして、笑顔ではしゃぎ回っている子どもたちも遅かれ早かれ現実をつきつけられる。
 ある青年は、日本からスタディツアーでゴミ捨て場を訪ねた同世代の学生たちにこう述べた。「僕は君たちに嫉妬する。君たちは自分の国から遠く離れ、自由に外国を訪ねることができる。でも僕は外国どころか、この狭いコミュニティから出ていくことすらできない。」
 こうした人たちに対し外から「貧しくない」と断定するロスリングに対し、私は怒りを禁じえないのだ。

c) ロスリングと私の感じ方の違い、認識の違いの根拠はどこにあるのか? それは、貧困を数字で捉えるのか感性でとらえるのかの違いにあるように思う。
 『FACTFULNESS』の副題は「10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣」となっている。統計数字を駆使して、漠然とした「貧困」(だけではないが)や「世界」のイメージ――ロスリングによれば人間の持つ10の「本能」によってバイアスがかかるというのだが――を正すことがこの本の目的だ。
 一見、数字が示されると客観的な基準のように思ってしまう。だが、2ドル、8ドル、32ドルという4区分の数字に特別の根拠はなく、ロスリングが恣意的に設定した数字にすぎない。
 なにより一番の問題は、1日一人当たり2ドル以下のレベル1は貧しいが、それ以上の所得があれば「貧しくない」としていることだ。レベル1の人口は減っている。そのことは事実として認識する必要がある。だが、なぜレベル2の人たちは貧しくないといえるのだろう? それは単にレベル1の人たちと比べて「ましな暮らし」をしているというに過ぎないのではないか。つまり、ある人たちが貧しいか貧しくないかという問題は比較の問題にすぎず、ある数字よりも上か下かという問題ではないのではないか。
 そもそも、「貧しい」とは相対的な概念である。仮に世界中の人々が同じような生活をしているとしたら、そこに「貧しい」とか「豊かである」とかいう概念は生まれようがない。実態として貧富の差があるから、「貧しい」人たちのありようが「問題」となる。どのような「貧しさ」が解決されるべき「問題」であると認識されるのかは時代によって、人々の認識や受け止め方によって、「貧しい」人たちと「豊かな」人たちとの間の政治的・文化的パワーバランスによって異なるだろう。(この問題については以前別のコラムでも検討しているので、関心のある方は参照してください。https://access-jp.org/archives/column/boader_13
 1日2ドルという数字を根拠としそれ以下の人口が減っていることを強調するロスリングは、レベル2にある国や地域の人々を前にして「レベル1を脱却できた。素晴らしい!」と肯定して見せるようなものであるのに対し、私は「非人間的な暮らしを余儀なくされている。何とかしなければ」と思ってしまうという違いがあるのだと思う。

d) 当然、ロスリングのこうした主張は、レベル2にある国や地域の人たちからは反発される。そしてロスリングもそうしたエピソードを紹介している。アフリカで開催されたある会議でロスリングは講演を行い、「アフリカから極度の貧困がなくなるのにあと20年もかからないだろうと力説した」(P233)。それに対し参加者から「極度の貧困がなくなればアフリカ人は満足だと思っていらっしゃる?普通に貧しいくらいがちょうどいいとでも?」と批判されたというのだ(P234)。
 この批判はロスリングが抱える問題に対する本質的な批判である。ところが、ロスリングは、せっかく批判をしてくれた人がいるにもかかわらず、この批判を深く受け止めることができなかったようだ(「ビジョン」の問題にすり替えてしまっている)。だから、批判を受けた後でも平気で「貧しくも豊かでもないが、それなりの暮らしを営んでいる」と書けるのだ。 

(つづく)

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