連載 私たちはどこにいて、どこに向かおうとしているのか 「国境を越えて」パート2

第1回:新たに連載を始めるにあたって

アクセス常務理事 森脇祐一

2011年10月から2013年8月にかけて、国際経済労働研究所機関誌「Int’lecowk」誌上に「未来への扉-国際協力NGOの活動から見えてくるもの」と題して15回にわたって連載してもらったことがある。アクセスがフィリピンの貧困問題にどう取り組もうとしているのか、アクセスの活動が現代世界の中でどんな意味を持っているのか、そしてアクセスはどんな方向に進んだらよいのかについて、当時私なりに考えたことを文章にまとめた。(この文章はアクセスのメールニュースで2022年2月まで「国境を越えて」と題して連載してもらった。)

あれから10年。アクセスの活動は大きく変わり、世界も変わった。それらの変化の中で、アクセスで活動してきた私(たち)のアクセスに対する認識も、変わった。

この新たな連載では、アクセスは10年後の今現在どこにいて、これからどこに向かおうとしているのかを、私なりの視点から現代世界の動向の中に位置づけ、アクセスの持っている潜在力を開示することを試みる。読者の皆さんは、前回の連載と変わらないものの中に、変化(深化)してきたものを感じ取っていただけるものと思う。

フィリピン事業構造の変化

10年前と比べて、アクセスはどのように変わったのだろうか。当時、アクセスはフィリピンの4か所(都市2か所、農村2か所)で、幼稚園の運営、小学校校舎建設・運営支援、奨学金、子どもの権利、青年会、保健衛生、フェアトレード、マイクロフィナンスといった多種の事業を同時並行して行っていた。地域の、貧困であるがゆえに住民が抱える種々の問題に対応する事業を実施し、それぞれの事業ごとに住民パートナー組織を作り、それらがまとまって地域全体の課題に取り組むための住民評議会をつくることで、住民自身の力によって地域の問題を解決していく力をつけるという構想であった。実際、当時の事業地であったある都市スラムでは、立ち退き問題を機に住民評議会の結成を促し、他のNGOとの連携・協力も得ながら、住民主体の交渉なども行った。

住民評議会イメージ

だが、その後この事業構造は行き詰った。小さな団体にもかかわらず、多くの事業地・多種類の事業を同時に行うことで、ただでさえ少ない経営資源が分散し、一つ一つの事業が深まらなかったり、マイクロフィナンスのように事業運営が上手く行かなくなってしまったりしたのである。他方、日本側でも、特に若いリーダーたちの間で「何をやっている団体なのか、分かりにくい、アピールしにくい」という不満がでるようになる。2016年以降は、それまでいただいていた大口の寄付・助成が無くなったことも重なり、事業地数および事業数の縮小に踏み切り(フィリピン政府による行政サービスの拡大という外的要因もあったが・・・)、現在は都市スラム1か所・農村1か所、事業も子ども支援とフェアトレードの2領域に絞り込むに至っている。こうすることにより、子ども支援の領域では、小・中・高校への就学支援、子ども会と保護者会の集落ごとの組織化、子どもの権利の擁護と行政への働き掛け、子どもと保護者のライフスキルの育成と、子どもたちを取り囲む環境に重層的に働きかけることができるようになった。他方、フェアトレード事業は、コロナ禍によるフィリピン側の売上の大幅な落ち込みもあり十分な成果には至っていないが、日本側の売上の拡大もあって生産規模は何とか維持できており、その中で生産者たちの生産スキルや生産工程の管理・品質管理の能力は向上してきた。日比ともに、次のステップに進むべき内的要因は成熟してきたと言える。

フィリピン事業

日本事業の提供してきた価値

同じ時期、日本側の事業も大きく変化した。以前は「春・夏の長期休暇中に学生を主な参加者とするスタディツアーを各2回ずつ行いツアー参加者にサポーターになってもらう。参加者の多くは帰国後もボランティア支援チームに参加し卒業後もサポーターを続ける。」というサイクルが機能してきた。大勢の学生がボランティア支援チームで活動し、大きな学びの場(アクセスからすると若者のエンパワメントと地球市民形成の場)となってきた。ところが、この10年の間に上記のサイクルが機能しなくなってきた。要因は主客様々考えられるが、現象的にはスタディツアー、ボランティア支援チームに参加する学生メンバーが減ってきたのである。スタディツアー参加者の減少は、収入減の一つの要因ともなった。

こうした事態を受けて、2016年ころからスタディツアーに並ぶ国内事業の構築をめざし色々と試行錯誤を繰り返した。カフェを使ってフィリピンやNGO活動に関心のある人に学びと気軽なおしゃべりの場を提供しようとした「カフェイベント」もその一つである。が、これらの試みは上手く行かなかった。今から振り返ると、上手く行かなかったことには大小さまざまな要因があったことに気づくが、中でも最大の要因は、これらの試みを通じて、どういう人にどういう価値を提供しようとしていたのかが明確でなかったことにあると言ってよい。

近所のカフェをお借りして開催していたカフェイベントの様子

このことに気づいたのは、2020年に「Panasonic NPO/NGOサポートファンド for SDGs」の助成により、NPOコンサルタントoffice musubimeの河合将生氏の伴走型支援による組織診断を受けたことが与って大きい。もともと、財務の構造的な赤字体質を解決するために組織診断を受けたのだが、予期していなかった問題に気づかされたのである。

  1. 組織診断の中で実施したアクセスの強みを探る2度のワークショップを通じて、学生時代にスタディツアーやボランティアチームの活動に参加してくれた人たちが、卒業後長年にわたってアクセスの支援者として継続してくれている理由が明らかとなった。それは、活動への参加者に対し、「出会いの場」、「受容され価値観を揺さぶられる場」、「成長の場」、「協力の場」、「自己肯定・自己実現の場」、「達成感を得られる場」を提供してきたことである。少なくない人たちが、人生に影響を受けたと述べてくれたことは、私たちの日本事業への認識を大きく深めた。アクセスを支援してくれる人たちは、フィリピンの貧困削減事業に共感してくれる人ばかりではなく、日本事業が提供してきた価値にも共感してくれている人が多くいることを改めて確認することができた。
  2. これにより、日本事業をアクセスの事業全体の中にどう位置付けるべきなのかという問いが大きな課題として浮上してきた。アクセスは、長い間、スタディツアーとボランティア支援チーム組織化を通じて、日本の市民(特に若い世代)のエンパワメントと地球市民としての成長を促してきたわけだが、それはフィリピン事業に付随する補完的な事業なのではなく、それ自身がフィリピン事業と同等に重要な目的を持つ事業として位置付けるべきものとして考えるようになった。
  3. 組織診断を支援してくれた河合氏からは「アクセスには哲学が存在するにもかかわらず言語化されておらず会として共有されていない」こと、「ボランティアや学生への問いかけや投げかけが、ものごとの本質を問うものになっており、こうした対話の機会が彼ら彼女らにとって大きな意味をもつものになっているにもかかわらず、そのことが対象化されず、目的意識的に活動や事業の中に位置づけられていない」ことが指摘された。アクセスという団体にとっての日本事業を実施することの意味・目的を曖昧にしてきたことの結果である。
  4. 日本事業をフィリピン事業と同等の重要な目的を持つものとして位置付けることにより、新たに次の問いにぶつかることとなった。アクセスは日本の市民にどんな価値を提供し、どのような地球市民を増やしていきたいのか?それを実現するための事業はスタディツアーのほかにどのような事業がありうるのか?それらの事業の中ではどんな問いが発せられるべきか?これらの事業を実施することにより日本社会にどのようなインパクトをもたらしたいのか?そのことが、翻ってフィリピンの貧困問題の解決にとってどのようなインパクトを持ちうるのか?
  5. フェアトレード事業の5Cに基づくマーケティング分析をする中でも同様の問いが浮び上がってきた。それまで、フェアトレード事業のビジョンとして現地生産者の状態がどのように変化していくのかに焦点を当てて考えてきたが、マーケティングの観点から光を当てなおしたとき、アクセスのフェアトレード事業およびその商品は日本の消費者にどのような価値を提供しているのか/できるのか/すべきなのかを考えなければならないことに気づいた。「商品を売る」のか、「社会的意味(ストーリー)を商品を媒介に伝える」のか、あるいは「ライフスタイルを提案・創出する」のか。「損益を重視する」のか、「世界を変えることに重きを置く」のか。これらの問いに、アクセスとしてしっかりとした解答を出すことから始めなければならない。NGOとしてフェアトレード事業を実施することの意味が改めて問われているのである。
  6. アクセスが提供できる/すべき価値を明確にし、価値を体現する事業を構築できれば、その価値に共感する人たちと出会い、つながる回路を持つことになる。そのことを抜きにして、アクセスの抱えている財務問題の改善は実現できないと、考えるようになった。

これを受けて、2020年の10月から若手理事が中心となりアクセスの価値-事業-ビジョンについて議論を重ねてきた。2021年8月からは私(森脇)も議論に加わり12月にかけて一端の議論のまとめを行った。この春以降HP等広報媒体の改定を行う予定になっている。

この連載記事の意図

今回10年ぶりに「国境を越えて」パート2を書こうと思い立った理由は、この新たに定義されようとしているアクセスの価値-事業-ビジョンについての、私個人の理解・見解について述べておきたいと思ったことにある。この間、マニラで、京都で、交わしてきたアクセスでの時々の議論に促されて、私自身の世界の見方もこの10年で変化した。私のそうした変化もまたアクセスでの議論に反映されてきているものと思う。そうした私の目から見て、アクセスが現在進もうとしている道は世界の変化の中でどのような意味を持ちうるのか。その潜在力を私なりに明らかにしたいと思うのである。

もちろん、世界の変化を、たとえ特徴的な変化であってもその全てを捉えることは私の能力をはるかに超える。ただ、アクセスの活動と結び付けて見た場合、特に注目すべき領域がいくつかある。

一つはグローバリゼーションの深化である。これは経済のデジタル化、非物質的労働化、金融化、これらを条件とする先進国から途上国への工場の移転、国民国家の経済運営と労働政策における新自由主義の席巻、その結果としての貧富の差の拡大、労働力の規律訓練=社会への包摂から管理=放置への移行、これらを背景とした新たな形のナショナリズムの台頭として進行してきた。貧困問題を解決する道を探るうえで、こうした21世紀的な構造-貧困が再生産される構造が20世紀的なそれと同じではない-を捉えることが重要な課題となっている。

もう一つは民主主義を求める運動の深化である。2010年末以降、北アフリカからヨーロッパ、北米、アジアへと広場占拠闘争が広がった。多くの場所で、数千人規模の参加者の直接民主主義による意思決定が実践された。ヨーロッパではそのエネルギーがミュニシパリズム(ミュニシパリティ=基礎自治体での住民参加による自治とコモンの管理運営を求める運動)を生み出し、バルセロナをはじめとする多くの都市で市政を担っており、南米でも大きな影響力を持つに至っている。他方、支配的な資本主義的市場経済のオルタナティブを模索する社会的連帯経済も世界的な影響力を拡大していて、アジアでもソウル市が先進的な活動を行っており、日本でも学会が立ち上がっている。

これらの変化に焦点を合わせながら、他方変わらないもの-途上国の貧しい住民の視点から歴史と世界を捉えようと努めること、途上国の貧しい住民と日本で暮らす私たちとの立ち位置の違いを認識すること、違いを踏まえたうえで連帯すること、そうした立ち位置の違いを生み出す構造を理解し、その構造を解体する方向に物事をすすめる方法を模索すること-を踏まえ、アクセスの現在地と今後進むべき方向性と可能性について、アクセス内外の人に議論の材料を提供し、意見を交わすことを通じて、共通の認識を発展させたいと願っている。(続く)

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