アクセス常務理事 森脇祐一
連載『国境を越えて』パート2
◇第1回:新たに連載を始めるにあたって
◇第2回:「南北問題」はもはや存在しない? その1
今回のポイント:
◆「南北問題」という世界の捉え方は既に無効?
◆途上国と先進国の<格差>だけでなく<構造的関係>を表現するものとしての「南北問題」
◆アクセスのこれまでの捉え方
◆「南」と「北」の<構造的関係>の捉え方のアップデートが課題に
前回述べたように、本稿の重要なテーマの一つは<世界の変化の中での変わらないものを問い、変わらないものの中での変化を問うこと>であるが、その最初の切り口として「南北問題」を取り上げたい。
南北問題とはどういう概念か、ウィキペディアでは次のように説明している。「1960年代に入って指摘された、地球規模で起きている先進資本国と発展途上国の間に経済格差が存在しているという問題、およびその問題を解決するという、人類全体に課せられた課題のことである。地球規模の視野でみると、豊かな国々が世界地図上の北側に、貧しい国々が南側に偏っていることからそれぞれ、英語では通常グローバル・ノース、グローバル・サウス(Global North and Global South。直訳では地球的北、地球的南)と呼ばれる。」(https://ja.wikipedia.org/wiki/南北問題)
だが、南北問題という世界の捉え方は既に有効ではないという主張を、国際協力活動に従事している多くのNGOまでもが支持し始めている。というか、アクセスがかかわっているある国際協力NGOネットワークでは、そうしたNGOが今や主流派である。そして、彼らがそうした考え方を持つに至った理由の一つとして『FACTFULNESS(ファクトフルネス)』(ハンス・ロスリング他著、日経BP社、2019年)という著作が大きな影響力を持っているらしいことを数年前に知った。
以来、私はこの著作をきちんと批判しなければならないと考えるようになったのだが、なかなかその時間を作ることができずにいた。このことが、今回連載を始めるにあたって最初に南北問題を取り上げようと思った動機の一つではあるが、それ以上にこの問題はフィリピンの、発展途上国の貧困・人権・戦争問題の解決をめざすアクセスという団体にとって、その歴史認識、世界認識、今後進むべき方向性と深くかかわってくる問題であり、しっかりと向き合わなければならない問題であると改めて考えたことが大きい。
「南」と「北」の<構造的関係>としての「南北問題」
具体的に『ファクトフルネス』の批判的検討を始める前に、私自身の、南北問題の捉え方について振り返っておきたい。
第1回目の記事の最後で、私は私がアクセスの活動を行う上でこれまで取ってきた立場を次のように表現した。「途上国の貧しい住民の視点から歴史と世界を捉えようと努めること、途上国の貧しい住民と日本で暮らす私たちとの立ち位置の違いを認識すること、違いを踏まえたうえで連帯すること、そうした立ち位置の違いを生み出す構造を理解し、その構造を解体する方向に物事をすすめる方法を模索すること」。
これを「南北問題」に即して説明しなおすと、次のようになる。
- 「北」と「南」の格差は現在も存在し、なくなってはいない。
- 「北」と「南」の格差は、「北」と「南」の間の歴史的に作られてきた構造的関係性によって生み出され、現在も再生産されている。
- 「北」の住民と「南」の住民との間には、この構造の中で占める立ち位置の違いによって強いられる力の違いがあり、両者はアプリオリに対等な関係であるわけではない。世界は主権国家によって分断されていて、諸主権国家は世界的な力の連鎖の中で序列化=構造化されており、それぞれの「国民」も同様である。その意味において「世界市民」「地球市民」は理念上の、将来実現すべき存在に過ぎず、いまだ実存していない。
- そうした対等ではない構造の下にある「北」の住民が「南」の住民、とりわけ貧困の中で日々苦闘している人たちと関係を取り結ぼうとするとき、こうした構造に対しどのような態度をとるのかが問われる。構造そのものを解体し、真の意味での「地球市民」になることを望むのか、それともあくまで「北」の住民としての「特権」を維持し、構造を維持したまま、慈悲深くあることを望むのか。
- このような構造を解体し「北」の住民としての「特権」を手放すことは、今よりも経済的に貧窮し、今よりも不自由になることを意味するのか?そうではなく、今の構造の中で許された「経済的豊かさ」や「自由」とは異なる、もう一つの経済的豊かさ、もう一つの自由がありうるのではないか。どんなに時間がかかろうとも、「誰も犠牲にしない豊かな社会=世界」を実現しうるのではないか。
このように私は、南北問題を、単に先進国と発展途上国の格差の問題としてのみならず、さらに格差そのものを生み出してきた構造的原因としても捉えようとしてきたのである。
アクセス「私たちのめざすもの」
こうした南北問題についての捉え方は、アクセスでも、表現こそ異なれ、ほぼ共有されてきた。2012年に公表した「私たちのめざすもの」という文書から、当該部分を引用する。上の①②で述べたことをもう少し具体的に描写しているので、イメージしてもらいやすいかもしれない。(https://accessjp.org/about/mission#wheretogo)
「私たちは、発展途上国(フィリピン)の貧困問題の解決に取り組んでいます。生活していくうえで最低限必要な基本的ニーズが満たされていない貧しい人々にモノやサービスを提供し、ニーズを満たしたり、基本的人権が侵害されている貧しい人々(特に女性や子ども)の人権を擁護したりする活動をしています。
同時に、私たちは発展途上国が貧しい原因を探求してきました。貧しい人々の基本的ニーズが満たされなかったり、基本的人権が侵害されたりすることの痛みには、それを生み出している原因があると私たちは考えます。
この痛みと痛みを生み出す原因の関係は、病気にたとえることができるかもしれません。病気の人は身体に痛みを感じます。痛みを感じている人は、痛みを和らげる薬を必要とします。私たちの基本的ニーズを提供する活動や基本的人権を擁護する活動は、痛みを和らげる活動と言えます。でも、痛みを和らげる薬は、痛みの原因をなくすものではありません。原因は相変わらずそこにあり、すぐに別の痛みが現れます。貧困問題でも同じことではないでしょうか。
私たちは、痛みを和らげる活動を行いながら、痛みを生み出す原因を明らかにし取り除くことをめざしたいと考えているのです。」
「それでは、発展途上国の貧困は、どのように生みだされ、なぜ現代に至るも無くならないのでしょうか。
私たちは、発展途上国の貧困の原因を、歴史的に形成されてきたものだと考えます。15 世紀末に始まる、近代植民地支配がそれです。当初スペイン・ポルトガル・オランダが植民地を拡大し、その後18 世紀イギリスの産業革命を経て、フランス・ドイツ・アメリカ・イタリア・ロシア・日本各国で産業革命が組織され、資本主義的機械制大工業のもと植民地支配が再編成されました。つまり、資本主義的生産のために必要な原材料を確保するために、また大量に生産される商品の販売市場を確保するために、イギリス以下の列強諸国が植民地を必要としたのです。
私たちが支援しているフィリピンも、16 世紀から20 世紀半ばまで、スペインと米国の植民地となり、第二次大戦中は日本軍に占領されました。植民地支配の下、民衆たちは奴隷労働にも等しい重労働に従事させられ、貧しい生活を余儀なくされました。抵抗するものは拷問され、処刑されました。スペインの植民地支配からの独立を求めて闘い、スペイン軍に捕らえられ処刑されたホセ・リサールが、処刑される直前に書いた詩の一節は、当時の心あるフィリピン人の祖国を思う気持ちが率直に表現されています。
祖国よ祈りをささげてほしい。運なく倒れた人々に、
凄まじい暴虐を耐え忍んだ人々に、
悲痛にうめく哀れな母たちに、
親や夫をなくした人々に、拷問に苦しむ囚われ人に。
そしておまえ自身に祈りを。
いつの日かお前が救済されるように。
Mi Ultimo Adios 「最後の別れ」 ホセ・リサール
このような、西欧を中心とする一握りの「北」の国々が、アジア・アフリカ・ラテンアメリカといった「南」の地域を植民地として支配した世界的資本主義システムが、現在にまで至る「南」の国々の貧困の原因だと私たちは考えます。このシステムの結果として、「北」の国々は豊かになり、「南」の国々は貧しくなったのです。(後略)」
見えにくくなった支配の構造
「植民地支配」と聞くと、「いつの話しだ?」といぶかる人もいるだろう。第二次世界大戦が終わってから77年も経つ。仮にかつての植民地支配が途上国の貧困の原因だったとしても、それは既に昔のことではないのか? 現に、かつての植民地だった諸地域は戦後次々と政治的独立をかちとり、中国やインド、ブラジルなどBRICSと呼ばれる国々や韓国・台湾・香港・シンガポール・タイ・ベトナム・インドネシアなど経済発展に成功した国や地域はたくさんあるではないか・・・。何より、絶対的貧困と呼ばれる経済状態にある人々は、まだいるにせよ、どんどん減ってきており、むしろ貧困から抜け出してきた人たちの方が圧倒的に多いのではないのか?
こうした戦後、とりわけ70年代以降変化してきた世界の「現実」を統計上のデータを駆使して示そうとしているのが『ファクトフルネス』という本である。つまり、この本が示そうとしている「現実」はある意味正しい。そうした変化をしっかりと受け止め、世界の、歴史の見方を、貧困の原因についての考察をアップデートしていかなければ、現実を反映しない説得力のない議論になってしまう。
だがその一方で、貧困とは何かという問題について、そして「南」の貧困の歴史的原因である「北」による「南」の支配の構造について、資本主義について、この本は全くと言っていいほど捉えることができていない。著者のハンス・ロリングは医師であり、経済学や歴史学の勉強はあまりしていないのかもしれない。それはそれで仕方がないことではある。だが、著者の主観的な意図とは別に、こうした社会科学・人文科学の基礎知識がないために、この本の全体的なトーンは、資本主義や新自由主義、そしてグローバリゼーションに対する手放しの肯定という客観的な役割を果たしてしまっているように思う。
それだけに、多くの国際協力NGOがこの本の主張を受け入れ、「南北問題」は既に存在しないとしてしまっている現状には深い危機感を覚えざるをえない。
次回以降、『ファクトフルネス』の論述に即しながら、具体的に検討していきたい。
(続く)
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