連載 私たちはどこにいて、どこに向かおうとしているのか 「国境を越えて」パート2

アクセス常務理事 森脇祐一

連載『国境を越えて』パート2
第1回:新たに連載を始めるにあたって
第2回:「南北問題」はもはや存在しない? その1
第3回:「南北問題」はもはや存在しない? その2
◇第4回:「南北問題」はもはや存在しない? その3

今回のポイント:
・ ロスリングの歴史認識はとても単純化された進歩史観であり、本書の主張は現状肯定につながる
・ 貧困問題の解決の方向を探るためには、貧困を生み出す歴史的、社会経済的背景の理解が不可欠である

前回に引き続き『FACTFULNESS(ファクトフルネス)』(ハンス・ロスリング他著、日経BP社、2019年)を批判的に検討する。ロスリングの「南北問題」に関する主張は、前回要約しているので、そちらを見ていただきたい。 https://access-jp.org/archives/column/boader2_3

2)ロスリングの主張の二つ目の問題点は、貧困を統計数字に還元してしまっていることだ。彼は、1日一人当たり2ドル以下のレベル1は貧しいが、それ以上の所得があれば貧しくないとする。しかも、その主張を歴史貫通的に、現代のみならず、時代をさかのぼって、また社会のあり様の違いを問わず、適用しようとする。

この点に関するロスリングの記述をみてみよう。

①「人類の歴史が始まった頃、誰もがレベル1にいた。最初の10万年間以上は、誰もレベル2に進めなかった。ほとんどの子どもは、自分が子どもを産める年齢まで生き延びられなかった。そしていまから200年ほど前までは、世界の85%がレベル1、すなわち極度の貧困の中に暮らしていた。現在世界の大部分は真ん中のレベル、つまりレベル2とレベル3に暮らしている。これは1950年代の西ヨーロッパや北アメリカと同程度の生活水準だ。そしてこの状態は、ここしばらくのあいだ続いている。」(P50)

②「1800年頃は、人類の約85%が極度の貧困層、すなわちレベル1の暮らしをしていた。世界中で食料が不足しており、ほとんどの人が、年に何度もお腹をすかせて眠りについた。イギリス国内や植民地では児童労働があたりまえで、子どもたちが働き始める平均年齢は10歳だった。」(P67)

a)このロスリングの貧困の捉え方の平板さ、視野の狭さを理解するために、少し唐突かもしれないが『逝きし世の面影』(渡辺京二、平凡社ライブラリー、2005年)における叙述を紹介する。この本は、幕末から明治期にかけて日本を訪問・滞在した欧米人が残した日本に関する記述に基づき、当時の日本社会や人々の様子を再構成しようとするものだが、そこから「貧困」を理解するうえで重要な視点を学ぶことができる。

b)渡辺は明治期の日本研究家であるB・H・チェンバレンの、日本には「貧乏人は存在するが貧困なるものは存在しない」という観察を手掛かりに、次のように結論付ける。「日本における貧しさが、当時の欧米における貧困といちじるしく様相を異にして」おり、「日本では貧は惨めな非人間形態をとらない、あるいは、日本では貧は人間らしい満ちたりた生活と両立」(P127)していた、と。どういうことか?

c)当時の欧米人の「貧困」観の例として、渡辺は1845年に刊行されたフリードリッヒ・エンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態』を引用する。「貧民にはしめっぽい住宅が、すなわち床から水のあがってくる地下室か、天井から雨の漏ってくる屋根裏部屋が与えられる。……貧民には粗悪で、ぼろぼろになった、あるいはなりかけの衣服と、粗悪で、混ぜ物をした、消化の悪い食料品が与えられる。……貧民は野獣のようにかりたてられ、休息も、安らかな人生の享楽も許されない。貧民は性的享楽と飲酒のほかは、一切の享楽を奪われ、その代わり毎日あらゆる精神力と体力とが完全に疲労してしまうまで酷使される。」(P133)「街路の上では市場が開かれ、もちろんすべて品質が悪く、ほとんど食えない野菜や果物を入れた籠が通路をいっそう狭めている。これらの籠や肉屋からは実に不快な臭気が発散している。……そこの不潔なことと荒廃した有様は、とうてい考えられないほどだ。(中略)汚物と塵埃の山があたり一面にあり、ドアの前にぶちまけられた汚い液体は寄り集まって水溜まりとなり、鼻持ちならない悪臭を発散している。」(P135)

d)これに対し、幕末から明治期にかけて日本を訪れた人は日本の貧しさをどのように観察したのか? 幕末、修好通商条約の締結を求めたハリスは1856年の下田近郊を次のように描いた。「柿崎は小さくて貧寒な農村であるが、住民のみなりはさっぱりしていて、態度は丁寧である。世界のあらゆる国で貧乏にいつも付き物になっている不潔さというものが、少しも見られない。彼らの家屋は必要なだけの清潔さを保っている。」(P100)「この土地は貧困で、住民はいずれも豊かではなく、ただ生活するだけで精一杯で、装飾的なものに目をむける余裕がない」「それでも人々は楽しく暮らしており、食べたいだけは食べ、着物にも困っていない。それに家庭は清潔で、日当たりもよくて気持ちが良い」(P101)。また渡辺は明治17年から何度か来日した米国人ライザ・シッドモアを引用して次のように描く。「日本で貧者というと、ずいぶん貧しい方なのだが、どの文明人を見回しても、これほどわずかな収入で、かなりの生活的安楽を手にする国民はない」。日本人は「木綿着数枚で春、秋、夏、冬と間に合ってしまうのだ。」「労働者の住、居、寝の三要件」は「草ぶき屋根、畳、それに木綿布団数枚」が満たしてくれる。穀類、魚、海藻中心の食事は、貧しいものにも欠けはしない。それに「人や環境が清潔この上ないといった状態は」富者のみならず貧者にも当てはまる。(P129)

e)渡辺は、これらの記述から(本文には他にも多数の記述が引用してある)、当時の日本の一般民衆(農民や町民)の状態として、貧ではあるが、貧は惨めな非人間形態をとらず、人間らしい満ちたりた生活と両立していた、という結論を導き出す。そして、その要因としてⅰ)生活が質素でシンプルであったこと、ⅱ)主食である穀類や魚が安かったこと、のほかにもう一つ重要な点を挙げる。それは地域の人々の相互扶助的関係であり、生活の糧を得る場の共有である。

f)駐日英国公使ヒュー・フレイザーの妻は、1890年の鎌倉の海浜で見た網漁の様子を次のように描く。「青色の綿布をよじって腰にまきつけた褐色の男たちが海中に立ち、銀色の魚がいっぱい踊る網をのばしている。その後ろに夕日の海が、前には暮れなずむビロードの砂浜があるのです。さてこれからが、子どもたちの収穫の時です。そして子どもばかりでなく、漁に出る男のいないあわれな後家も、息子をなくした老人たちも、漁師たちのまわりに集まり、彼らがくれるものを入れる小さな鉢や籠をさし出すのです。そして食用にふさわしくとも市場に出すほどよくない魚はすべて、この人たちの手にわたるのです。……物乞いの人に対してけっしてひどい言葉が言われないことは、見ていて良いものです。そしてその物乞いたちも、砂丘の灰色の雑草のごとく貧しいとはいえ、絶望や汚穢や不幸の様相はないのです。」(P151)
 この引用を受けて、渡辺は次のように指摘する。「衆目が認めた日本人の表情に浮かぶ多幸感は、当時の日本が自然環境との交わり、人々相互の交わりという点で自由と自立を保証する社会だったことに由来する。浜辺は彼ら自身の浜辺であり、海のもたらす恵みは寡婦も老人も含めて彼ら共同のものであった。イヴァン・イリイチのいう社会的な「共有地(コモンズ)」、すなわち人々が自立した生を共に生きるための交わりの空間は、貧しいものも含めて、地域のすべての人々に開かれていたのである。」(P151)

g)このように対比された、当時の欧米人の貧困観と日本の貧しい民衆の在り様とのギャップの背景には、社会の資本主義化が進み土地とコミュニティ的紐帯から切り離された人々が増大した後の初期工業化社会と、農業中心の前工業化社会との違いがあることは言うまでもない。

h)さて、「貧ではあるが、貧は惨めな非人間形態をとらず、人間らしい満ちたりた生活と両立していた」という渡辺京二の指摘を踏まえるとき、レベル1=極度の貧困というロスリングの貧困の捉え方の平板さ、浅薄さが明瞭になる。

ロスリングの貧困観、歴史観を再度確認しよう。

「人類の歴史が始まった頃、誰もがレベル1にいた。最初の10万年間以上は、誰もレベル2に進めなかった。ほとんどの子どもは、自分が子どもを産める年齢まで生き延びられなかった。そしていまから200年ほど前までは、世界の85%がレベル1、すなわち極度の貧困の中に暮らしていた。現在世界の大部分は真ん中のレベル、つまりレベル2とレベル3に暮らしている。これは1950年代の西ヨーロッパや北アメリカと同程度の生活水準だ。そしてこの状態は、ここしばらくのあいだ続いている。」(P50)

「1800年頃は、人類の約85%が極度の貧困層、すなわちレベル1の暮らしをしていた。世界中で食料が不足しており、ほとんどの人が、年に何度もお腹をすかせて眠りについた。イギリス国内や植民地では児童労働があたりまえで、子どもたちが働き始める平均年齢は10歳だった。」(P67)

①「最初の10万年間以上」誰もがレベル1にいて、皆が同じような生活をしていたのであれば、「貧困」は問題にならない。「貧困」という概念さえなかったはずだ。たとえ「ほとんどの子どもは、自分が子どもを産める年齢まで生き延びられなかった」のが事実であったとしても、その当時の人は、それはそういうものとして当たり前に受け入れていただろう。レベル2に進めるかどうかは問題になりようがない。
 逆に「貧困」概念が発生し、貧困であることが問題として認識されるようになるのは、「最初の10万年間以上」の次の時期、「レベル2」に進んだ人が社会の中に現れ、レベル1の人たちと違う生活水準を保つようになって以降のことであったはずである。なぜ「レベル1」と「レベル2」の違いが社会の中に現れ、貧富の差という固定化された分断が生じるのかという問いは、貧困問題を解決しようとする者にとって重要な問いのはずであるが、この本を読む限りにおいてロスリングが関心をもった形跡はない。

②また、ロスリングは、「最初の10万年間以上」の時期のレベル1と「いまから200年ほど前」「1800年頃」のレベル1とを、同じものであるかのように扱う。両者の間には、狩猟・採取経済と農耕経済の違いなど、当然社会のありように大きな違いがあるはずなのだが、その違いに目を向けようとはしない。
 また、同じ19世紀のレベル1であっても、上でみたように資本主義化=工業化が進んだ結果としての欧米の貧困と、前工業化社会であった日本の貧困とでは、そのあり様は大きく異なる。にもかかわらず、ロスリングは「1800年頃は、人類の約85%が極度の貧困層、すなわちレベル1の暮らしをしていた。世界中で食料が不足しており、ほとんどの人が、年に何度もお腹をすかせて眠りについた。」と描くのみで、同じレベル1であっても、社会によって人々の状態に大きな違いがあったという歴史的事実に関心を持たず、どういう社会的条件がそうした違いを生み出したのかについて考えようとしない。

③ロスリングの歴史認識はとても単純化された進歩史観である。彼にとって、人類の歴史は、地域によって早い遅いの違いはあるが、生活水準向上の歴史である。しかも人類の進歩はどんどん加速しており、このままいけば貧困問題は遅くない時期に解決する。あえて課題を挙げるとすると、極端な貧困状態にあるレベル1の人たちへの支援をどう進めるかだ、というものだ。

④「データを基に世界を正しく見る習慣」と副題にあるように、「正しいデータ」を示すことがこの本の主要な売りだ。それによって間違った思い込みや先入観を正そうとする意図は理解しうる。
 だが、統計数字(例えばレベル1=1日当たり2ドル以下の所得といった)だけを取り出し、数字だけを根拠に貧困を捉えようとする彼の態度は、一見科学的に見えるかもしれないが、実際はとてもイデオロギッシュなものと言わざるを得ない。端的に言って、ロスリングのこうした方法論は、現在の世界の経済的・政治的・社会的・文化的構造、すなわち近代が生み出してきたものへの手放しの肯定を意味している。

⑤貧困問題を解決しようとするのであれば、なぜある時期から人類社会に貧富の差が生じたのか、なぜある時期から人類の生活水準は急速に上がり始めたのか、なぜ現在においても貧富の差が拡大し続けるのか、あるいはそもそも貧困とは何で、私たちがめざすべき世界の在り様はどのようなものか、等々の問いを持ち、貧困を生み出し、貧富の差を生み出してきた社会・世界の構造を解き明かすことが不可欠のはずである。
 ロスリングのこの本は、こうした問いの必要性を覆い隠す。この本が世界的ベストセラーになっていることは恐ろしい事態であると言わねばならない。

(つづく)

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