国境を越えて 最終回:貧困問題の解決に向けて労働組合運動に期待するもの

アクセス常務理事 森脇祐一

以下の文書は、2011年10月から2013年8月まで、国際経済労働研究所機関誌「Int’lecowk」誌上に「未来への扉-国際協力NGOの活動から見えてくるもの」と題して15回にわたって連載したものである。

連載『国境を越えて』

第1回:ボランティアという活動 ─ 当事者運動と非当事者運動の出会いが生み出す「共」性
第2回:国際協力とボランティア性
第3回:フィリピンの貧しい人々
第4回:非当事者として貧困問題の解決に取り組む(1)
第5回:非当事者として貧困問題の解決に取り組む(2)
第6回:非当事者として貧困問題の解決に取り組む(3)
第7回:非当事者として貧困問題の解決に取り組む(4)
第8回:非当事者として貧困問題の解決に取り組む(5)
第9回:非当事者として貧困問題の解決に取り組む(6)
第10回:非当事者として貧困問題の解決に取り組む(7)
第11回:貧困問題の解決とは(1)--貧困の原因について
第12回:貧困問題の解決とは(2)--世界システムの中のフィリピン
第13回:貧困問題の解決とは(3)--貧困とは何か
第14回:貧困問題の解決とは(4)--ボランティアについて: 贈与論の視点から
◇最終回:貧困問題の解決に向けて労働組合運動に期待するもの

これまで、14回にわたって、市民のボランティア活動による国際協力活動が抱える諸矛盾と可能性について、筆者が所属するNGOの経験に基づいて述べてきた。  

最終回は、そうした活動に携わるものとして労働組合運動に期待するもの、あるいはボランティア活動と労働組合運動の連携が持ち得る意味について考えてみたい。

ボランティア活動について  

本連載の第1回目<ボランティアという活動:当事者運動と非当事者運動の出会いが生み出す「共」性>において、私は、戦後形成されてきた「公」と「私」による「共」的機能の代行という構造の破綻と民の「共」を生み出す力の衰退を指摘した上で、次のように述べた。「民による下からの様々な運動、労働運動や公害問題などに取り組む住民運動、反差別運動など新たな「共」を生み出す動きもあった。これらの運動は、その内発的な動因において利他的なものと言うよりは、自らが抱える問題を解決するため、当事者自らが参加するという意味において利己的なものであった。だが、同時に、こうした諸運動は、社会の中で立場が弱い者が、より大きな権力を持っていて問題を生み出す側に対して批判や要求を行い、単に当事者の経済的利益を追求するのみならず、それぞれの運動が掲げる要求の普遍性に応じて社会変革の性格(先駆性)を持つものであった。そうした普遍性をもつからこそ、数多の非当事者もまたそうした運動に「共」的な意味を見出し、共鳴した。こうして運動の中で、当事者と非当事者が出会い、共に大切にする共通の価値を持ち、あるいは創り出すことにより、社会の新たな「共」性が生み出されたのである。だが、それぞれの運動が大きくなり、制度化し、「公」や「私」に対して既得権益を持つようになると、つまりは利他性よりも利己性が強くなってしまうと、こうした運動は先駆性を失う。そうなると運動は「私」化するか「公」の下請けと化し、非当事者の運動への共感は薄れ、「共」性を失ってしまう。」

「ボランティア活動の最大の特徴は利他性と無償性にある。福祉であれ、環境問題や国際協力であれ、あるいは町づくりであれ、自らの直接の利害のためではなく、ある種の普遍的な課題(=ミッション)に活動の意義を見出し、自ら参加する。それゆえ、建前と本音の二重化を許す余地が少なく、「私」化しづらい。・・・こうしてボランティア活動は、新たな「共」の構築のための有力な一翼足りうる。」

労働組合運動はボランティア活動を必要としている  

拙稿を長々と引用してしまい恐縮だが、以上のような視点から本誌2012年9月号掲載の新川敏光「労働運動の歴史的意義と展望-格差世界からの脱出」を読むと、利己性が強くなり、先駆性を失って、組合員以外の人々の共感を組織できなくなっている日本の労働組合の姿が描き出されているように思える。「日米では、組合員の利害だけを追求するビジネス・ユニオニズムが一般的であり、労働者全体の利益や権利保護の考えが弱い。」「社会運動ユニオニズムとは、労働運動が社会的に一部の恵まれた層(なかんずく正規雇用労働者)の利益を守るものにすぎないという批判に対して、環境運動や消費者運動など、いわゆる新しい社会運動と連帯し、協調行動を繰り広げることによって、新たな支持を獲得し、社会的承認を得ようという戦略である。」「社会運動ユニオニズムが示唆するのは、労働運動がそのアイデンティティを再確立し、労働者の権利と利害を守るためには、他の社会運動との連帯が必要になっているという事実である。」「ビジネス・ユニオニズムは、組合員の利益を守るためにも内向きの囲い込み戦略ではなく、外に対して連帯を求める開放政策に向かわざるを得ない。開放政策としては、社会運動ユニオニズムと並んで、正規・非正規、職域の垣根を越えた横断的組織化戦略が重要である。」「労働運動再生の道は、・・・平等とよりよき未来に向けた小さな物語をいくつも見出し、編んでいくことのなかにあるように思われる。」(以上、上記新川論文より引用)  

筆者は、労働運動に関しては全くの門外漢であるが、ここで述べられていることを上で見たようなボランティア活動論の文脈で解釈しなおせば、次のようになるのではないか。

ボランティア活動は、自発性・無償性・利他性・先駆性の4つを特徴とするが、この観点からすると、組合員の利害だけを追求するビジネス・ユニオニズムが一般的な日本の労働組合は、利他性・先駆性の要素が弱い。その結果、運動は「私」化してしまい、他者の共感を得にくい。また、既に恵まれている層の自己利益を守るための運動であるために、組合員自身においても参加動因が薄れてしまっている。ここから他者に対しても、自己に対しても、運動の存在意義を示しにくく、アイデンティティ形成が難しくなっている。こうした状況を突破するために、組合員の利害のみならず、①組合員以外の労働者の(同じ企業に働く労働者の、同じ地域の労働者の、同じ産業の労働者の、全ての労働者の)利害のために、②労働運動のみならず、環境運動や消費者運動など「新しい社会運動」の抱える課題の解決のために、つまりは非当事者として、当事者である他者の抱える問題の解決のためにボランティア活動を行うことが必要である。このような先駆性を持つミッションを掲げることで、労働運動は自らのアイデンティティを再確立することができ、参加者が誇りを持つことのできる運動になり得る。そのことが、労働運動への共感を得ることにつながり、組合員の権利と利害を守ることにもつながる。組合員一人ひとりがボランティア活動に参加し、他者と出会い、直接向き合い、他者を鏡として自らの姿を認識し、互いの違いを認め尊重し合い、他者と協働し、他者と共有しうる価値を生み出すこと、つまりは「小さな物語」を無数に編み出すことを通じ、他者と共に「公」にも「私」にも回収されない「共」を生み出すことが、労働運動の再生の道である。

国際協力NGOの視点から  

国際協力NGOに携わるものとして、新川の問題提起は大いに歓迎すべきものである。 

第一に、日本の労働組合が巨大な社会的構築物であり、巨大な資源を内に持つ、人・もの・金・情報のネットワークであることを挙げなければならない。日本の国際協力NGOの会員数は、最も規模の大きな団体でも25,000人前後であり、筆者の所属する会は600名に満たない。全国で400~500あるとされる国際協力NGOのうち、国際協力NGOセンター加盟の243団体の2010年10月現在の総会員数も176,000人に過ぎない。これに対し連合傘下の労働組合の組合員数は680万人である。単純に、組合員一人当たり月1000円を追加拠出すると月68億円、年816 億円の基金ができる。これに対し日本の国際協力NGOが集める年間の寄付・会費総額は約178億円、総支出は 261億円に過ぎない。日本のNGO全てが現在行っている総事業の3倍以上の事業を行うことができるのである。さらに、ボランティア休暇やプロボノなどを通じて人的資源を活用し、雇用労働の中で培われた専門的知識・技術・経験を提供することで、できることはさらに拡がる。その際、専門家や専従任せにするのではなく、組合員一人ひとりが行動し、他者と出会い、小さな物語を紡ぎ出すことのできる仕組みづくりが最も重要である。  

第二に、日本の組織労働者による「全ての労働者」の利害のためにという論理性が、資本のグローバル化という現実のなかで、国境を越えて、また先進国と途上国あるいはG20とその他の国という枠を超えて、全世界の全ての労働者の利害のためにという論理性を内包していること。のみならず、雇用される機会のない周辺的な貧しい人々の利害のためにという、国境を越えた社会運動ユニオニズムにまで突き進まざるを得ない論理性を内包していることである。  

こうして、日本と海外の日系企業の労働組合が、ワールドミニマムの要求・実現に向けてヘゲモニーを発揮すると同時に、国際協力NGOと連携し、都市貧困地区・農村貧困地区の非労働者(いわゆるインフォーマルセクターに従事し、被雇用者よりさらに不安定な生活を余儀なくされている)への支援・組織化・エンパワメントを行う姿を思い浮かべることができる。日本の組織労働者は、その気になりさえすれば、日本国内のみならず全世界の労働者から、全世界の労働者のみならず全世界の貧困層から、敬意と感謝を得ることができるに止まらず、そうした人々と共に、互酬システムという資本の運動に対抗する新たな経済システムを打ち立てることに寄与することができるのである(拙稿第14 回参照)。  

むろん、一つ一つの事業、一人ひとりの組合員の踏み出す一歩は、うまくいく事ばかりではないだろう。だが、そうした努力を始めること、そして一つ一つ経験を積み重ねていくこと、日系企業進出先の労働者や貧しい住民たちとの協働関係を打ち立てていくこと、それらを通じて、国境を越えた「共」的関係と空間を創出すること、ここに、グローバル化時代の労働運動がチャレンジすべき広大なフロンティアが広がっていると言えないだろうか。  

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