コロナ病棟責任者として、看護師の名前を憶えること

新京都南病院 新谷泰久

2021年1月、同一法人内の他病棟でCOVID-19の院内感染が発生した。職員8名、患者16名が順次感染・発症した。当時我々の法人にはコロナ病棟はなく、どこかの病棟が新しく感染した患者を受け入れざるを得ない。私が責任者をしている病棟が急遽受け入れることとなった。やっつけ仕事。ゾーニング。

看護師はみな動揺した。泣く看護師もいた。「なんで私たちの病棟が引き受けなければいけないのか。」何度も話し合った。私も逃げ出したかったが逃げ出せなかった。市立病院から応援にも来てもらいアドバイスももらった。3人看護師が退職した。優しい優秀な看護師達だった。小さな子どもがいる看護師もいた。「不安を要素に分解して具体的に一つ一つ解消していこう」と呼びかけるものの、不安は漠然としていて分解できない。全体は個別の総和ではないのだ。感情は理屈で抑えることはできない。もしもっと多くの看護師が退職すれば病棟は回らない。隔離できなければクラスターはさらに広がり、収拾がつかなくなるかもしれなかった。

残った看護師もフェイスシールドの奥でひきつった顔をしてPPE*(医療用防護服)をつけて勤務していた。夜中に悪夢で起きてしまう看護師もいた。寝られない看護師もいた。家族と離れてホテルで別居する看護師。それでも、待ったなしでどんどん増えてくる患者を引き受けなければいけない。当時ワクチンもなかった。心理カウンセラーにも看護師と面接してもらった。患者は4人亡くなった。当時は最後に家族とも会えず御遺体をビニール袋に入れてから納棺し焼き場に送っていた。納棺は看護師業務のなかで一番つらいと言っていた。

この病棟には約25人の看護師がいる。いままでは個々の看護師の名前を覚えることはできず、「リーダーさん」「看護師さん」「師長さん」「主任さん」と私は呼んでいた。
ある時「まだ名前を覚えてくれていないのか」という看護師がいた。「私は単なる労働力・駒なのか」という叫びのように思えた。「自分が大事にされている」という実感がない職場で、他人である患者さんを大事にして働き続けることは不可能であろう。

認定NPO法人アクセスという京都のNPOがフィリピンで子どもたちの学費を援助するプログラムを行っており、そこからフィリピンでの手作りメッセージカードを自分がいただいてうれしかったことを思い出した。そこで、アクセスからカードを購入し、一人一人の看護師さんにメッセージカードを送ってみた。夜ひとりで机に向かい、看護師の名前をカードに書いて、その人を思い浮かべる。かみさんは横からのぞき込んで「あんた、なにしてんの?」と言う。もらった看護師も「『お母さんこんなもんもらってきたよ』と子どもが夫に言って家庭内騒動の種になる」という人もいるが、「大事にとっています」といってくれる看護師もいる。少々照れるが、飲み会がなくなった今、コミュニケーションはこんな方法でも良いのかもしれない。

コロナ病棟も開設後はや10か月目となり、災害級の第5波も過ぎ去って、今はみんなずいぶん慣れて落ち着いている。「京都府のベッドコントロールセンターにもっとCOVID-19患者を送ってと催促してくれ」と、看護師がいうこともしばしばだ。病棟看護師もずいぶん交代して、あの疾風怒濤・阿鼻叫喚の開設時を知っている人も今病棟にはほとんどいなくなった。今日も新しくコロナ病棟に転勤してくる看護師にメッセージカードを書きながら、そろそろ還暦になり容量が小さくなり始めた脳で、働く仲間の名前を何とか憶えようと、そしてその背後にある生活と葛藤を少しは理解しようとしている。名前を憶えることは協働することの基本かもしれないと思い始めている。

*PPE:ガウンや手袋、マスクなど、医療従事者を様々な感染や事故から守るための個人用防護具。

(了)

筆者である新谷さんは、アクセスの子ども教育サポーターです。この文章は、「京都府医師会報2022年新春号」の原稿として2021年11月に執筆されたものを、ご本人の許可をいただいて掲載しています。

最新記事を、メールでご案内します。

本コラム欄の最新記事をまとめて、月1回のペースでご登録のメールアドレスに無料配信いたします。

「アクセスメールニュース」(無料)に、ぜひご登録ください!

✓登録メールアドレスに無料配信!
✓月1~2回、不定期で発行!
✓カラー写真入りで、見やすい!
✓SNSをお使いでない方にも便利!

「姓または名」と配信ご希望のメールアドレスをご入力の上、「登録する」のボタンを押してください。

必須


必須


この記事を書いた人