トンド地区での大火災と緊急支援について

認定NPO法人アクセス 理事長 野田さよ

現地スタッフが被災?!

3月22日の朝、なにげなく開いたFacebookの投稿に息が止まりました。現地スタッフのアンドレアが、建物が勢いよく燃えている動画をシェアしていたのです。「全部なくなっちゃった」という一言とともに。「わ、火事が起こっちゃったのか…」と、胸がしめつけられるのを感じました。

フィリピンの3月は雨があまり降らず、乾燥しているので火事が頻発します。私が フィリピンに住んでいた頃も、当時活動していたパサイ市にあるアペロクルスというスラムで火事が2005年と2006年に1回ずつ起こり、それぞれ200~300世帯が焼け出されました。

私はその被災地の緊急支援を行った経験があったので、アンドレアの投稿を見た時には 「どうしよう、また大切な人たちが被災してしまったかもしれない」とゾッとしたのでした。

同日の夕方、アンドレアの同僚で同じくトンド地区に暮らすグレイスと連絡が取れて、火災があったのはアクセスが活動しているマニラ市トンド地区のアロマという場所だとわかりました。アクセスが子どもたちの教育支援をしているのは、マニラ市トンド地区のヘルピング。アロマは、ヘルピングから小さな通りを一本隔てただけの、本当にすぐそばのコミュニティで、スタディツアー参加者の人たちも横を通ったことがある場所でした。

そしてやっぱり、アンドレア一家も被災していたのです。

今回の火事のあらまし

火事が発生したのは、3月21日の22時半ごろ。消防車がやって来て、ある程度火のコントロールができるようになったのが午前1時少し前でした。完全に鎮火したのは朝5時ぐらいだったそうです。その間、何時間も燃え続けて、結局数としては600世帯1800人が被災したと言われています。

英字新聞の記事

火事があったトンド地区というのは、63万人が暮らしている巨大なコミュニティ。その中で、この3月だけでも何度も火事が起こっています。3月21日の火事の前週も翌週も、トンド地区内で、100人単位で焼け出された火事が起きているのです。この季節は本当に火事が多く、都市スラムというのは一度燃え始めると、あっという間に日が回って被害が大きくなります。

これは火災前に歩道橋から撮ったアロマの写真です。アクセスのスタディツアーでトンド地区を訪問した方は、歩道橋からコミュニティを見た記憶があると思います。まさにあの歩道橋から見えていた、赤い屋根の住宅が、被災地です。この赤い屋根の建物が30棟あったのですが、そのうちの4棟が今回、被災しました

現地スタッフの石川さんによると、灯油を使って調理するコンロが倒れて火が広がったのが火元だそうです。ただ、フィリピン英字新聞のネット記事を見る限りでは、火の元は特定されていないと書かれています。こういったスラムの火事の原因は、特定されないことが多いです。立ち退きをさせるための放火ではないか?という噂もしばしば流れます。

被災した建物は鉄筋コンクリート造りのため、なぜこれほどまで燃え広がったのかと少し疑問だったのですが、その原因はプラスチックごみにありました。アロマ地区には、たくさんのジャンクショップ(廃品回収業者)が軒を並べていて、ゴミ拾いをして働いている人たちから買い取ったプラスチックごみやダンボールが山積みにされていたのです。それに火がついて、どんどん燃え広がっていったと言われています。プラスチックが燃えることで、有害なガスが相当出ていただろうとも思います。

これはその焼け跡の写真です。柱がねじれ、屋根が落ちてきたんだなというのがわかります。火事の直後には、焼け跡に被災した人たちが集まってきて、まだ使えるものやジャンクショップに売れる金属が残っていないか探します。そのあと、少しずつ焼け跡の片づけが始まります。

現地スタッフのアンドレアは、少し前まではマラボン市に住んでいたのですが、なんと火災の数日前にアロマに引っ越してきたばかりでした。本当に着の身着のままで逃げるしかなかったそうです。焼け跡で見つけた自分の残っていたものはこれだけだった、という写真がこのコップです。

都市スラムの火事、緊急支援は行われる?

被災直後は、皆さんバランガイホール(公民館)や学校、公営のバスケットボールコート、教会などに一時的に非難します。20年前は、火災の被災者に対する公的支援というのは明確に定まったものはなかったのですが、今は公的機関で罹災証明書をとると、1世帯あたり1万ペソ(約27,000円)の義援金が支給されるそうです。アンドレアも、アクセス・フィリピン事務局長のアドバイスを受けて、被災後すぐその手続きをしていました。

こうした火災があった時、被災者は決して放置されっぱなしというわけではありません。行政からの義援金が出るほか、NGOや教会系の団体、一般市民のグループ、住民組織などがすぐさま救援活動に動き出します。バランガイ(村・区議会)もコーディネーター役となって、そうした寄付を集約して、被災者に適切に配られるよう調整してくれます。

もちろん、そこで集まる支援の量が足りているかというと十分ではありません。でも、何にもなされないということはまずありません。被災したアンドレア自身も、兄や友人が被災したという友人たちも、それぞれ自分のもっているネットワークの中で、手を尽くして支援を求め、なんとかこの難局を乗り切ろうと必死で動いています。

今回の火災に対するアクセスの動き

被災の一報を受けて、アクセス・フィリピンの事務局スタッフは緊急会議を開きました。その後、アンドレアに直接会いにいき、スタッフたちがちょっとずつ出し合ったお見舞金と、アクセス事務所にストックされていた古着や食品を渡したということでした。コロナ前に皆さんからいただいた衣類の寄付があったので、それを活用してもらいました。

ただ、アンドレア以外の被災者の皆さんに対する緊急支援は、アクセスとしては実施しないことになりました。もちろん、力になりたいという想いはとても強くあります。でも、アクセスはとても小さな団体で、700人ほどの子どもたちと保護者、フェアトレード生産者の暮らしを支えるので精一杯。緊急支援にまで手を広げてしまうと、その700人へのサポートがおろそかになってしまうことが予想されます。何より、頼もしいスタッフの一人であるアンドレアが被災してしまい、普段通りの活動ができない状況にあるので、なおさらです。

アンドレアへの緊急支援を受け付けました

アクセスとしては、災害が起こった際のルールを定めています。

  • アクセスが日頃から支援している子どもやその家族、アクセスの職員が被災した際には、緊急時のためのガイドラインに沿って、「緊急時基金」から一定額の緊急救援を行う
  • アクセスの関係者が希望する場合は、個人的なお見舞金を預かり、被災した本人に渡す

というものです。これにそって、今回も、個人的なお見舞金をお預かりする窓口を開設し、4月24日までに、16名の方々から53,000円(19,000ペソ相当)のご寄付をいただきました。

いただいたご寄付の中から、3000ペソをアンドレアにお見舞金として渡しました。また、11,000ペソをトンド地区の区長(バランガイ議長)に手渡し、被災した皆さんへの食糧の支給などの救援活動に役立てていただきました。残金の使い道については、被災地の状況を見ながら検討していきます。(本段落の更新日:2024年4月24日)

被災した人たちのその後

一般的に火事が起こった時の動きとしては、最初の1週間ぐらいは避難所で過ごす人が多いです。ただ、避難所の環境は不衛生だったり犯罪のリスクがあったりするので、近くに住んでいる親戚とか友達の家に居候をさせてもらう人も少なくありません。その間、焼け跡に通って片付けを毎日して、片付いたら家を建て直す形になります。後片付けをする期間は、片付けで忙しいので稼げません。その間、食料支給という形の緊急支援がとても力になります。

4月12日にフィリピン事務局から受けた報告によると、被災直後から食料品パック(米、袋めん、缶詰、ミルクなど)の配布などの支援活動が行われているそうです。実施主体は、マニラ市行政、社会福祉開発省、教会系の団体、市民活動団体、NGO、下院議員などです。アクセスを通してバランガイ(区)に託した皆さまからのご寄付は、被災者に配布するお米の購入に使われるとのことでした。

すでに被災地の後片付けは終わっており、焼け残った鉄筋も撤去されました。焼け跡に戻って、テントや小屋を建てて生活再建をし始める世帯も増えてきています。一気に家を立て直すということはあまりなく、最初はお金を数千ペソ借りて、柱を立ててブルーシートをかけてテントの状態で暮らし始めます。しばらくその状態で生活し、まとまったお金が工面できたら、屋根を作る。またしばらくしてお金が集まったら、次は壁を一面足す。という感じで、数か月~数年かけて生活を再建していきます。

その一方で、生活再建の見通しがつかず、避難所や親戚知人の家に身を寄せながら不安な日々をすごす世帯も少なくありません。

最後に

アクセスは小さな団体で、私たちにできることは限られています。それでも今回、皆さまの力を借りて被災した皆さんに私たちの想いをわずかながら届けることができました。ご協力くださった皆さま、本当にありがとうございました。

この記事を書いた人

Sayo N

第二の故郷であるフィリピンで、「子どもに教育、女性に仕事を」提供することが仕事。誰もが自分のスタート地点から、自分のペースで成長できるような場づくりを大切にしています。アクセスの事務局長です。趣味はライブに行くこと。