「生きよう」と思わせてくれた映画【事務局長のださよのライフストーリー第1回】

 

今日のライター : 事務局長 野田沙良(のださよ)

明るくふるまってはいたものの、学校に行くのも、生きているのも辛く感じることが多かった高校時代の私

生きるのが辛くてたまらなかった中学・高校時代

「消えてしまいたい」
「私なんて生きてても意味ないような気がする」
「周囲の人を傷つけてばかりの無価値な私なんていなくなればいいのに」

そんなネガティブな感情にとらわれて、毎日が地獄のように辛かった中学・高校時代。(今思えば、当時から私は、うつ病の症状を抱えていたのだと思います。)何とかギリギリ生き延びるためのエネルギーを私に与えてくれていたのは、音楽と映画でした。

私の人生を今に至るまでずっと支え続けてくれている音楽についてはまた次回にゆずるとして、今日は私の人生を大きく揺さぶった映画について書きたいと思います。

ふと手に取ったマイナー映画の名は

その映画に出会ったのは17歳の時でした。レンタルビデオ店で、面白そうなマイナー映画を探すのが趣味だった当時の私が、その日ふと手に取った映画は「ラングーンを越えて」でした。

アメリカ人の女性で医師になりたてだった主人公は、強盗によって夫と息子を殺され、生きる意味を見失っていました。なんとか気分をまぎらわせようと、姉とともに東南アジアの国、ビルマ(現在のミャンマー)にやってきたところから物語が始まります。

そこで彼女は、民主化運動をたたかう人々や、難民キャンプで苦しむ人々と出会います。そして最後には、自分の医師としてのスキルを活かし、苦しむ人々を助けるようになります。大切な人を失った彼女にとって、難民キャンプが新しい居場所、生きる意味になっていったのです。

気づくと私は、「死にたい」「生きている意味がわからない」と言う自分の苦しい思いと、その映画の主人公の気持ちを重ねて、その映画を見ていました。

その時から私にとって、「世界の貧困や紛争による苦しみ」は遠い世界の他人事ではなくなりました。今この瞬間も、世界のどこかで食べたくても食べれない、学びたくても学べない、生きたくても生きられない、そんな人たちが存在していると言うことをリアルに感じるようになりました。

そして、これまでのように自分の無力さを嘆くのを止め、「まずは学んで成長しよう。そしたら、自分の力で、生きたくても生きられない人たちの力になれるかもしれない。」そんな風に、自分の人生に微かな希望を持てるようになっていきました。

それは高校2年生の時でした。
生きるのが辛くて辛くてたまらなかった17歳が、なんとか生き延びるための道しるべを手に入れた瞬間でした。

「死にたい」と思うことは贅沢?

39歳になろうとしている私はいまだに、年に数回は「死にたい」気持ちに襲われます。これは私が、疲れると精神的に参ってしまいやすいという体質を抱えているからです。

「死にたいだなんて贅沢だ」
「生きたくても生きられない人だっているんだから」

そんな風に言う人たちもいますが、私はそうした声にまったく賛同しません。
生きたくても生きられない人がいる事と、私が死にたいほど辛い気持ちであることは、全く別の話です。

人が「死にたい」と言う時、それは本当に死にたいと言うことを意味しているとは限りません。私が知る限り、「死にたい」という言葉は、心の悲鳴です。「この苦しみから逃れたい」「本当は生きたいけど、こんなにも辛いのであれば死んだほうがマシだ」と思うような苦しい状況に置かれた時、人は無意識に「死にたい」という言葉でその辛さを表現するのだと思います。

あの頃の苦しみがあるから理解できることがある

双極性障害もだいぶ落ち着いて、フィリピン出張も余裕をもって楽しめるようになった最近の私(右端)

死にたいほど辛い中学・高校時代を、映画との出会いで乗り越えた私でしたが、20代後半になってまた、精神のバランスを崩します。仕事のストレスや、抱え込みすぎる性格、働きすぎによる心身の疲れが重なって、双極性障害2型(うつ状態と躁状態を繰り返す精神疾患)と診断されました。

そこからの6年間の闘病期間、何度も何度も死にたい気持ちに襲われ、アクセスを辞めること、国際協力そのものを止めてしまうことなども考えました。一生この病気が治らないのではないかという絶望感にとらわれ、眠れない・食べられない・人と会うことができないという時期もありました。

回復した今は、その闘病経験をとても前向きにとらえています。あの時の「絶望感」、「死にたいほどの辛さ」があるからこそ、私は貧困や紛争の中で生きる人々の気持ちをわずかながら想像することができるように思うのです。

今、私は、その経験をもとに、アクセスの活動を発展させていきたいと試行錯誤しています。その根っこにあるのは、「誰もが『人生捨てたもんじゃないな』と思える世界をつくりたい」という想いです。

経済的な貧困によって苦しむ人を減らすこと。同時に、心のしんどさを抱えている人を減らすこと。どちらにおいても大切なことは、たぶん、自己責任論で片づけてしまわないことです。

代わりに必要なことは、一人ひとりの抱えている「辛さ」をありのままみとめること。(「そっか、そんな風にしんどかったんだね」と声をかける。)そして、「どうしたら解決していけるだろうね」と一緒に考えることです。私自身が、そうしてもらってとても救われた経験があるからです。

そんな私の考えを、アクセスの活動の隅々までしっかり浸透させられるように、今少しずつがんばっています。

(のださよのライフストーリー、第2回もお楽しみに!)

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この記事を書いた人

Sayo N

第二の故郷であるフィリピンで、「子どもに教育、女性に仕事を」提供することが仕事。誰もが自分のスタート地点から、自分のペースで成長できるような場づくりを大切にしています。アクセスの事務局長です。趣味はライブに行くこと。