アクセスという職場:Episode I/「きちんとさん」との決別~職員・野田の語り~

あなたにとって、アクセスはどのような存在ですか?
「支援先」「ボランティアする場所」「居場所」「取引先・協力団体」・・・・

人それぞれにさまざまなとらえ方やアクセスとの関係性があると思います。

そこで業務を行う人間にとっては、アクセスは「職場」という側面を持っています。
事務局職員が、職場としてのアクセスをどのように捉えているか、「アクセスという職場」と題して、連載します。

第7回は、 EpisodeⅠ、アクセス日本事務局長・野田の語りの第2回です。

この連載では、アクセス職員の中村さんと竹内さんがそれぞれの角度から、「アクセスという職場」の魅力や課題、そしてそこで自分がどうエンパワメントされてきたかを書いてくれました。

★中村さんの記事
アクセスという職場:Episode Ⅲ(前編)/ 私という道~職員・中村の語り~
https://access-jp.org/archives/column/workplace-episode3-1

★竹内さんの記事
アクセスという職場:EpisodeⅡ/ 1.仲間がいない。~職員・竹内の語り~
https://access-jp.org/archives/column/workplace-episode2-1

本記事は、職場を管理しなければならない立場である事務局長の目線から、アクセスという職場がどういう課題をどう乗り越えてきたのか、その中で私自身がどうエンパワメントされてきたかを書く連載の2回目です。

1回目 私、事務局長失格でした。
2回目 「きちんとさん」との決別 ←ココ
3回目 「孤独」から「対話」へ

「空気を読まなくていい」いごこちよしの組織風土

幼い頃から、自分の好き嫌いや意見がはっきりしていた私。場の空気は読めるけれど、空気に合わせて振る舞ったり、自分の意見を捻じ曲げて行動したりするのがとても苦痛でした。自己主張すると嫌われたり白い目で見られたりすることが多かった中学高校時代は、「自己主張しつつも周囲に疎まれないコミュニケーション」の力を必死で伸ばそうと創意工夫していたのを覚えています。

そんな私にとって、大学4年の時に出会ったアクセスは、「自己主張することが奨励され、議論の面白さを共有できる仲間がいる」という意味で、超居心地のいい居場所でした。

アクセスの10年後のゴールをテーマに、理事・ボランティア・職員などが議論したワークショップの様子

27才でアクセス職員になってから13年。
私がここで働き続けてきた最大の理由は、その「意見を言うことは良いことだ」という組織風土だったような気がします。空気を読まない、「常識」や「普通」を拠り所にして行動しない、権力者に迎合したり忖度したりしない。代わりに、話し合いを通じて物事を決定し、決定に基づき活動・行動する、という組織風土です。

一般的な社会にありがちアクセスでの共通認識
普通はこう・常識的に考えてこう普通って何?自分と他人は違う
空気を読む・察することが重要言葉にして伝えないとわからない

「普通こうだよね」「みんなこう思ってるはず」「常識的に考えたらこうだ」といった発想はアクセスでは通用しません。どんな場面でも、自分の意見を言葉にして他者に伝えることが求められます。誰もが自分の意見を提示しあい、他者が考えていることがどういうことかきちんと理解できるまで質疑を繰り返し、自分と共通する部分・異なる部分を明らかにする。そうすると、だんだんと互いの意見の良さが見えてきて、共通項(一緒にたどり着く結論)が見えてきます。
そういう「議論」が大切にされる風土が、アクセスにはずっと以前からあるのです。

職員もボランティアも理事も、立場を越えて誰もが自分の意見を述べあい、決定に参画することが重視されてきました。私はそんな組織で働けることを誇りに思ってきましたし、その文化が自分にとってとてもしっくりくる、と感じてきました。

「できるようになれ」と求めることの暴力性

ただ、そんなアクセスが「誰にでも、いつでも、自由に議論できる風通しの良い組織だったか?」と言われると、残念ながら「NO」と言わざるを得ません。

2017年頃までのアクセスは、「自分の想いや意見は、言葉にして伝え合いましょう」という素晴らしい風土があるものの、「議論の際には、考えは論理的に整理しましょうね。あと、ニュアンスで話さず、的確な言葉選びをするよう厳密に配慮してくださいね。」という圧がすごかったのです。

それは、組織全体に浸透した文化というよりは、私と常務理事が醸し出す無言の圧のようなものだったと思います。いつの間にか私自身がその「議論する際の厳しい基準」を内面化し、論理的に的確な言語で意見できない部下やボランティアに対してキツい物言いで接してしまうようになっていました。

厳しく接することで、意見を整理する力や議論する力が伸びていった人たちもたくさんいました。でも、無言の圧に圧倒されて委縮してしまい、パニックになってますます意見が言えなくなる人たちもたくさんいました。
後者の人たちは、「頭の中の想いや考えがほわっとしていて、まとめるのに時間がかかる人」だったり、「頭の中で意見は固まっているけど、それをうまく言語化するのが苦手な人」だったのだと思います。アクセスは、そんな人たちにとても厳しい、とても苦しい場所だったのです。(当時の私は、そうした「高い議論水準を求めること」を当たり前のことと思いすぎていて、そのことで苦しむ人たちがいることに気づけていませんでした。)

ある時(たぶん2~3年前のことです)、私はそうした「求められる高い議論水準」に、私自身が追い詰められていることに気づきました。その日の私は、体がだるく気持ちも落ち込んでいて、議論しなければならないのにうまく考えがまとまらず、言葉選びもスムーズにいきませんでした。
すると、ところどころ非論理的だったり、言葉選びが少しいい加減だったりする私に、「言っていることの意味がよくわかりません」といった鋭いツッコミが入りました。なんとか趣旨を伝えようと言葉を重ねるものの、「意味がわからない」と一蹴されたことのショックで頭が真っ白になってしまい、うまく本意が伝わりません。調子が良くないながらも、懸命に意見を伝えようと努力しているのに、辻褄の合わなさを指摘され、言葉選びの不適切さのせいで理解できなかったと言われ…。伝わらないもどかしさ、理解してもらえない悔しさでいっぱいで、その日は議論にうまく集中できませんでした。

その日、話し合いが終わってから、私はうまく議論できなかった理由を考えてみました。最初は「意見を整理できない自分が未熟なのだ」と反省し、「もっと論理的に、もっと的確な表現で伝える努力が必要だ」と考えました。でも、なんだかしっくりきません。

「どんなに頑張ってもうまくできない時ってあるで!なんで全部、自分のせいにせなあかんの。」
そんな声が、心の片隅から聞こえてくるのです。

するとだんたん、「自分の未熟さのせい」にして努力を強いるようなやり方に対して、だんだん腹が立ってきて、悲しくなってきて、大泣きしてしまいました。私の中には、自分に対しても他者に対しても「できない奴が悪い、できるようになれ。」と求める暴力性のようなものがあるように思えたのです。

「きちんとさん」との決別

大泣きしながら自分の心の中をよく観察してみると、私の中には「きちんとさん」とでも名付けたくなるような、キャラがいることに気づきました。「きちんとさん」は、どんな仕事も完璧にこなそうといつも努力を重ね、細かなことに気を配る努力家です。常に向上心を持ち、一仕事終わっても休憩することなく効率よく時間を使ってとにかく仕事をさばき続けます。自分の意見を明確にしろと言われたら努力し、言語が的確でないと言われれば反省する。

「きちんとさん」は、そうやって黙々と努力を重ね働き続ける点では素晴らしいのですが、立ち止まって自分や他者を労ったり、それまで重ねてきた努力を評価したりはしません。もっともっと質の高い結果を追い求めて、ただひたすら前に進み続けるだけです。

私はそれまで、自分の中の「きちんとさん」の存在を誇りに思っていました。
でも、その時、泣きながら気が付いたのです。「きちんとさんと一緒に生きていくのってしんどいな」って。
そして、「きちんとさんに支配された私と一緒に働く周囲の人たちも、きっと同じようにしんどく感じてるんじゃないかな」って。
そこからだんだん、私は「きちんとさん」と距離を置くようになりました。

以来、自分にも周りの人たちにも、完璧さや厳密さを求めるのを止めました(少しずつですが)。「ちゃんとする」「きちんとする」ことを心掛けないようにし、「うまくできないこともある」「完璧にできなくてもいい」と自分に言い聞かせるようになりました。

労うこと、一緒に模索するということ

ほとんどの人は、自分なりにできる最善を尽くして働いています。
うまく意見を言えなかったり完璧な結果を出せなかったりするのは、手を抜いていたとか、努力が足りなかったからではありません。最善を尽くした結果がそれだった、という場面の方が圧倒的に多い。なので、「もっと努力してできるようになれ。」と求められても、「これ以上どう頑張ったらいいかわからない」という気持ちになったり、突き放されたように感じて孤独感を抱えてしまいます。

代わりに、「ここまでよく努力したね。こっから先は一緒に、やり方を探そう。」という姿勢で、職員・ボランティア・インターンに向き合うということを試み始めました。自分ひとりで努力し続ける辛さに心が折れ、大泣きした私が一番欲しかったものが、「労い」であり「一緒に模索する」ということだったからです。

やり始めて1~2年ですが、たぶんこのやり方の方が、ずっと効率的に、よりスムーズに人をエンパワメントできるし、私自身もそのプロセスでエンパワメントされるような気がしています。そんな私の変化が、職員が退職せずに働き続けてくれるようになった背景にもなっているのかな、と思います。

(了)

次回は、Episode-I の最終回、
「孤独」から「対話」へ です。

今私の中で最もホットなテーマの1つである「対話」について書きたいと思っています。(年内に書けるといいな~。)

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この記事を書いた人

Sayo N

第二の故郷であるフィリピンで、「子どもに教育、女性に仕事を」提供することが仕事。誰もが自分のスタート地点から、自分のペースで成長できるような場づくりを大切にしています。アクセスの事務局長です。趣味はライブに行くこと。