「対話」がアクセスにもたらした変化

あなたにとって、アクセスはどのような存在ですか?
「支援先」「ボランティアする場所」「居場所」「取引先・協力団体」・・・・

人それぞれにさまざまなとらえ方やアクセスとの関係性があると思います。

そこで業務を行う人間にとっては、アクセスは「職場」という側面を持っています。
事務局職員が、職場としてのアクセスをどのように捉えているか、「アクセスという職場」と題して、連載します。

第8回は、 EpisodeⅠ、アクセス日本事務局長・野田の語りの第3回(最終回)です。

この連載では、アクセス職員の中村さんと竹内さんがそれぞれの角度から、「アクセスという職場」の魅力や課題、そしてそこで自分がどうエンパワメントされてきたかを書いてくれました。

★中村さんの記事
アクセスという職場:Episode Ⅲ(前編)/ 私という道~職員・中村の語り~
https://access-jp.org/archives/column/workplace-episode3-1

★竹内さんの記事
アクセスという職場:EpisodeⅡ/ 1.仲間がいない。~職員・竹内の語り~
https://access-jp.org/archives/column/workplace-episode2-1

本記事は、職場を管理しなければならない立場である事務局長の目線から、アクセスという職場がどういう課題をどう乗り越えてきたのか、その中で私自身がどうエンパワメントされてきたかを書く連載の3回目です。

1回目 私、事務局長失格でした。
2回目 「きちんとさん」との決別
3回目 「対話」がアクセスにもたらした変化 ←この記事はココ

上司は常に正しく指示・判断できなくていい。

今から数年前。
部下から「こういう場合、どう対処したらいいですか?」と相談を受けるたび、正しい判断や的確な指示ができない自分が不甲斐なくてたまらない時期がありました。「上司として、迅速に適切な回答を示すべき」というプレッシャーがどこからともなく湧いてきて、思うように判断や指示ができない自分に、何度も落ち込みました。

でも今は、そういう風には考えません。

上司がすぐに答えを出してあげる必要はない、と思うようになりました。
「うーん、私もわかんないな。あなたならどうするのがいいと思う?」と聞いてみるとか。
「どうするのがいいだろうね~」と言いながら、部下と一緒に話し合ってみるとか。
対話を通して「一緒に答えを探すからこそ出せる解」があるはずだ。
今はそんな風に思います。

「私も部下も、不完全」という事実を受け入れた上で、部下がどう考えているか、どう感じているか、率直な声を拾い上げることができると、私の判断の精度も上がります。部下に問いかけたり、一緒に考えてほしいと話し合いを持ちかけたりするようになってから、部下の中に眠っているアイディアの種や問題解決のヒントをたくさん受け取れるようになりました。

そうした経験を経た今、私は「上司は常に正しく指示・判断できなくていい」と感じています。
部下と対話し、部下の中にある「声」を拾い上げ、それに基づき指示・判断することこそ、大事な上司の仕事だと考えるようになったのです。

議論はできても、対話が苦手だった私たち

アクセスでは「議論」が重んじられてきたことは、前回も書きました。
私は、議論を経て意見が1つにまとまっていき、みんなが納得して次のステップに進んでいくとうプロセスがとても好きです。空気を読んで同じ方向に、ではなく。異なる個性を持った人々が自分の意見をシェアしながら、あーでもない、こーでもないを繰り返し、少しずつ合意を形成していく。いわゆる「民主的に物事を決め実行する」というやり方が、私はとても好きなのです。そしてそれが、私がアクセスで活動し続けてきた大きな理由でした。

そんな私たちですから、「対話」なんてお手のものだった…ら、良かったのですが。
実際には、「議論」と「対話」は似て非なるものでした。

ちょっとここで、デジタル大辞泉(小学館)で、この2つの言葉の意味を見比べてみましょう。

議論・・・互いの意見を述べ論じ合うこと

対話・・・向かい合って話し合うこと

似たような意味合いですが、どちらかというと議論の方がきちっと、しっかり、論じることを意味していて、対話の方がゆるい感じの話し合いという印象を受けます。

実際、アクセスにおける「議論」は、「個々人の中で意見が一定形成されており、それが言語によって明確に表現できる」ことが前提条件になってきました。「なんとなくこう思う」レベルで話し合いを始めると「論理的に整理して、言語化してから出直してこい!」と突き返されてしまうようなムードがむんむんだったのです。

ある時、私が新事業のアイディアをふと思いついて、「こういうの、どうですかね?」と雑談的に上司に話してみたところ、良いも悪いもコメントなく「とりあえず企画書にしてきて下さい」と言われた、という出来事がありました。「アイディアを実現するために、企画書にしてから議論する」、という流れ自体は、しごく真っ当です。でも私は、機械的に処理されたような虚しさを感じて、企画書を作成するのも面倒くさくなって、そのアイディアを葬り去らせてしまいました。

正直、山ほど業務を抱えている日々の中で、企画書を作るというのはちょっと億劫でした。同時に、その思い付きのアイディアについて、その場で何のコメントもされなかったことが寂しくもあり、やる気がシュー――っとしぼんでしまったのでした。

その経験は、私にとって重要なターニングポイントになりました。
それ以降、私は、部下から思い付きの提案があった時に、実際やるかどうかは後で考えるとして、「ひとまず、そのアイディアについての対話をしてみる」ことを心掛け始めたのです。
ポイントは「議論」ではなく、「対話」をするということ。あまり深いことを考えずに、とりあえずゆるっと話し合ってみる、ということでした。

例えば、「〇〇の件ですが、ここが無駄な気がしてるんですよね」という雑談が始まった時。企画書がどうこうの前に「ああ、そう感じてたんですね。ちなみに、改善するとしたらどうするのがいいと思います?」と尋ねたり。「その案いいですね~。でも、それだとこんなエラーが出るかも。そのエラー避けるにはどうするのがいいでしょう?」なんて対話を重ねていくと、「これ、企画書なしでサクッと今日から実行できるな」とか、「これ、そもそもやらなくてもいいことだったわ」といったことが自ずと見えてくることがほとんどでした。そうした対話を繰り返す中でブラッシュアップされたアイディアが、実際に企画書になり、実現していったケースももちろんあります。

「対話」を意識的にやるようにしてみて、「これは面白い」と思いました。
自分の些細な意見が受け止めてもらえることのうれしさ。構えずに話し合っていく中で考えが整理されていったり、アイディアが膨らんでいくことの楽しさ。対話相手から、自分には見えていなかった視点を提供してもらえることの大切さ、などを感じました。何より、対話を大切にしたことで、私にとっても部下にとっても、意見を口にすることのハードルが下がっていったように思います。

「〇〇〇」とする姿勢が、議論や対話のコツ

当たり前の話ですが、世の中にはいろんな人がいます。
議論が得意な人、議論は緊張してしまう人。対話なら大丈夫な人、カジュアルな会話はできるだけしたくないと感じている人。色んな人がいるからこそ、議論する場面と対話する場面を使い分けたり、相手に合わせて議論するのか対話するのかを判断していくことの大切さを、最近は感じています

私自身は、議論する土壌が根付いたアクセスで長年働いてきたので、数年前までは「議論はそこそこ得意だけど、対話は苦手」な人間でした。でも、今では対話の方がずっとうまくできると感じています。私の対話力を伸ばし、また議論力も保てるようにサポートしてくれているのは、職員たち(部下たち)です。

中村さんは、私がふと口にしたちょっとしたアイディアに対して、「いいですね~!」と明るく共感してくれ、私のいいところをどんどん褒めてくれます。緊張していた時にはうまく説明できなかったことも、中村さんの前では頭がクリアになってスムーズに話せます。そうした対応を繰り返してもらった結果、私は背伸びしなくてもいいんだと思えるようにもなりました。その経験から、「気安く肯定し、こまめに褒める」という接し方が、人に自信をつけ、潜在能力を引き出すのだということを学びました。

竹内さんは、私が議論することの手助けが上手です。対話の方が得意になった私は、議論の場では委縮してうまく意見が述べられなくなる場面が増えました(たぶん、本来は対話向きの人間だったのだと思います)。そんな私に竹内さんは、ちゃんと私が意見を最後まで言えるよう、周囲の人たちにしっかり聞くよう促し、私が話しやすい環境を整えてくれます。議論が錯綜した場面では、「野田さんはどう思ってるんですか?」と問いかけてくれ、私の頭の中を整理するのを手伝ってくれたりもします。

二人に共通しているのは、「聴こう」とする姿勢です。関心を持って聞いてくれているということが伝わってくるから、「話してみよう」という意欲が湧くのです。

「エンパワメントする組織」って何?

アクセスのミッションの1つは「エンパワメント(力をつける)」ということです。
でも、アクセスという組織に、エンパワメントする機能が自然と備わっているというわけではありません

偉い人が下っ端を、
賢い人が愚かな人を、
年上が年下を、
上司が部下を、
エンパワメントしてきたのでもありません。

2002年にアクセスに関わり始めて以降、私は厳しいながらも本質を外さない有能な上司(森脇さん)の指導により、大きく力をつけてもらってきました。そして2017年以降は、今度は部下から、管理職としての在り方を教えられてきました。私は、アクセスという職場でエンパワメントされてきたんだなぁ…と、しみじみ実感します。

その経験から考えてみると、エンパワメントとは「人と人が向き合い、対話や議論をし、影響を及ぼし合うプロセスの中で、相互にもたらしあう変化」のことなのだと思えます。アクセスという場で出会う人々が、立場に縛られることなく、対話や議論を重ねる中で成長を促しあい、変化をもたらしあっているのです。
誰かが一方的に誰かに教えるのではない、相互的なこのエンパワメントの関係が、私は大好きです。

アクセスがこれからも、「相互エンパワメントが次々と生み出され続ける場」であるためには、関わる人々一人ひとりが、「聴こう」という姿勢を持って対話や議論を重ね続けることが必要です。それにはたゆまぬ努力が求められますが、それこそがアクセスのアイデンティティ。努力を惜しまず、人としっかり向き合う対話と議論を、何より大切に歩んでいきたいと思います。

(了)

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この記事を書いた人

Sayo N

第二の故郷であるフィリピンで、「子どもに教育、女性に仕事を」提供することが仕事。誰もが自分のスタート地点から、自分のペースで成長できるような場づくりを大切にしています。アクセスの事務局長です。趣味はライブに行くこと。