「アクセスに関わる人って、なんで関わってくださっているんだろう?」という素朴な疑問から始まった、アクセス関係者の方々のインタビュー連載企画。アクセスやフィリピンへの想い、ふだんの暮らしのなかで考えていることなどを語っていただきます。
第2回目は、2012年にアクセスのスタディーツアーに参加された、松岡春香さんと吉井瞳さんにお話を伺いました。
お二人ともスタディーツアーに参加して以降、アクセスにある複数のボランティアチームに所属し、熱狂的にアクセスのチームで活動した学生時代を過ごされました。また、現在にいたるまで、子ども教育サポーターとして奨学生の支援も継続されています。
スタディーツアーで、どんなことを感じたのか。スタディーツアーが、今の生活にどのように影響しているのか。社会人6年目となった今、語っていただきました。2回に分けて、お届けします。
(聞き手:野田沙良、記録:竹内彩帆)
「恩返し」がしたい。
野田:2人は一緒のツアーに参加したんだっけ?
吉井さん(以下、吉井):同じ年に行っているんですが、私が8月、まっちゃん(松岡さん)が9月の参加でした。
松岡さん(以下、松岡):私のツアーでは、ペレーズ滞在中、夜中に銛を持って魚を獲りに行ったり、そのあたりの食べられそうな草を探したり、ココナツを自分たちで削ってミルクとオイルを取り出したりして、それらで調理しました。でも、お昼ご飯1食つくるのに8時間ぐらいかかって(笑)。現地の食材を使って調理するってのがこれだけ大変なんだということが分かりました。
野田:ツアーでのいろんな経験が今に活きている、という声を何人もの参加者から聞くけど、まっちゃんは、ツアーに行ったことがその後のまっちゃんの生活や仕事の“バネ”になっている、と言っていたね。
松岡:しんどくなったり、めげそうになったときに、ツアーで出会った人たちが思い浮かんできて「あぁ、くよくよしてられへんわぁ」って、強くなれます。
一番印象に残ってるのが、現地の人たちと子どもたちで、厳しい生活環境の中ひたむきに前向きに生きている人がいたということ。ツアーに行く前は、「貧しい」っていうのは、しんどくて生きる希望もない、前向きな気持ちになれない中で人々は生活しているんだと思っていたけど、行ったら全く違った。貧しい現実はあるけど、負けない強さを持っていた。子どもたちにはキラキラした笑顔があったし、夢ももっていた。親御さんも子どもたちに対して「なにかしてあげたい」「大人になって夢をかなえてほしい」とか、そういう想いをしっかり持って生きてる人たちがいて、「そういう人たちの支えになりたい」と思えた。
当時、福祉の現場で就職先を考えていたけど具体的に決められていなかったんですが、アクセスのツアーに行ったことで、「子どもに関わる仕事がしたい」って思いました。 日本でもなんらかの理由で生き辛い状況にさらされている子どもたちがいることを知り、その現状を少しでも変えたい、子どもたちの生きる力を育みたいと思って、児童養護施設に就職しました。
野田:フィリピンの子どもたちが、希望が見えにくい中で頑張っている姿を見たからそういう決断になったっていうこと ?
松岡:子どもって、可能性があるじゃないですか。でも、置かれている環境のせいで実現が難しいこともある。だから、そういう子どもたちを支える側として、子どもたちとっての土台になれるような仕事につきたいなと思いました。
フィリピンの人たちが自分のバネになっていたから、「いつか恩返ししたい」とずっと思っていたんです。でもそれは「支援する」(「支援される」という固定した)関係というよりも、頭に顔の思い浮かぶ現地の人に支えられたから私も支えたい、という感じ。彼らは私の生き方を変えてくれたし、きっかけをくれたから、それにまさるような形で恩返したいと思いながら、アクセスと関わり続けてきました。
野田:フィリピンで出会ったいろんな人や体験が今を支えてくれているから、出会った人その人に直接返すわけじゃないけど、「フィリピンからもらったものを、フィリピンの人たちになんらかの形で返したい」という想いから、子ども教育サポーターを続けたりボランティアしたりしてきた、ということなんだね。
「グループ社会」から抜け出して、自分が見えてきた。
松岡:ツアーに行って、自分自身も変わったんです。
小学校で仲良しの友達が引っ越してしまってから、人間関係をつくっていくのが難しく感じるようになって、自分があまり出せなくなりました。自分を出したら除け者にされるんじゃないかって思ってしまって。
だから中学校では人間関係をつくるにあたって、みんなから嫌われないように、自分を出すよりも周りの人の言うことに合わせて生きることにしてみました。それなりにうまいこといったけど、すごい自分は我慢していました。
進学した女子大もグループ社会で、「グループの中にいないと成り立たへん!」という感じでした。
グループ社会では、言いたいことはあったけど、はっきり言えなかった。言っても拒絶されたらへにょって落ち込んでしまうから、言わないようにする。グループ社会で生きないといけなかったから、しんどくても周りに合わせていて、自分の意思があるようでなかった。
野田:属さざるをえない、合わさざるをえない社会、だったんだね。
松岡:ところが、アクセスのツアーの中では人と意見を共有する場面がいっぱいある。はじめは躊躇したんですけど、意見を言ってそれに反発する人もいないし、話をすればみんな喰らいついてくれる。お互いの意見を聞きながら話がすすんでいくことに、「あれ?」って(笑)。今までにない新しい経験だったんです。いつのまにかすごいしゃべるようになって、自然に意見が言えるようになっていました。それ以降、「まっちゃんってめっちゃしゃべるやん」って言われるようりました。
吉井:「まっちゃんはよくしゃべる人」ってイメージだった!
松岡:アクセスのメンバーから見ると「よくしゃべる」っていうイメージしかないと思うんですが、元々は周りに共感して合わせて生きてた人なんです。それが、アクセスで「はがれました」(笑)。
野田:アクセスで意見を言っても、否定されるとか、合わせなかったら圧をかけられるとか、ないもんね。
松岡:最初はその雰囲気に、「え、だいじょうぶなんかな?」「あ、だいじょうぶやん」って、かきわけていって自分が見えてきた。だから、フィリピンに行って、自分を変えられたのが一番大きいですよ。自分がやりたいことや自分だったらこう思うってことを、どんな場所に行ってもストレートに言えるようになりました。
だから、アクセスのツアーでがらっと変えてもらいました。
野田:ふた、あけちゃったのね(笑)。 きっとふたの中には、ずっと、まっちゃんはいたんだよね。
松岡:でもきっと、そういう子はたくさんいると思います。アクセスのツアーに参加して変わったっていう人。
野田:この間も、そういう話をしてくれた子がいた。ツアーに行くことで中身が変わったり、中身は変わらなくても外とのつながりが変わる人っていうのは、いっぱいいそうだよね。
松岡:ツアー行ってから、私の中で「嫌われてもいい」というのが出てきたんですよ。みんなから好かれなくても、「もういいや」って。気にしていたら、いつまでも自分じゃない自分がいることになる。だから、「自分を受け入れてくれる人とつながろう」って。自分が合わせすぎるのも違うって。
だからそれ以降、グループ力を一番発揮するとされるお昼ごはんの時間、私は一人で食べられるようになったんです。私にとってはそれが一歩でした。グループで一緒に食べる時もあったけど、自分で調整しながら関われるようになった。「まっちゃんは、そういう人」「それはそれでOK」と思われるようになった。
野田:めっちゃいいやん。
吉井:すげー。大きい変化だなあ・・・
松岡:仕事でも、活かされました。私が意見を言っても、受け入れてもらえてないなと感じてもやもやを感じたりすることがあったんですが、もっと深く追求して、何回か話す時間を設けたら、分かり合えるようになったんです。
野田:何かを思ってても言わない、というところから、相手に言えるようになり、それを1回であきらめずに、自分の意見を磨きながら何回も言う、ということができるようになったんだ。
松岡:このプロセスは、ツアーの12日間の中にはちゃんと入っているんだと思います。
野田:そうなのか!そういう風には考えたことなかった。
松岡:それから、自分を振り返らせてもくれる。
野田:たしかに、スタディーツアーって、日本を出て外を見ているつもりが、日本のことや自分のことめっちゃ考えていたりするよね。
松岡:「自分らしさってなに?」って思いました。ツアーがきっかけとなって、自分らしさを探し始めて、だんだんと自分のしたいことがわかってきて、その結果、行動力もかなりつきました。ツアーリーダー(スタディーツアーに同行する学生スタッフ)も務めたし、パレットに留学もしました。奨学生に会いにも行ったし、ホームステイもさせていただいて。フィリピンにどっぷり浸かりました。
ツアーに行って、こんなにいろんなことに挑戦できるような自分に、変えていただいたんです。
(後半に続きます!)
後編はコチラ → https://access-jp.org/archives/column/interview2-2