アクセスという職場:EpisodeⅡ/3.誠実であること~職員・竹内の語り~

あなたにとって、アクセスはどのような存在ですか?
「支援先」「ボランティアする場所」「居場所」「取引先・協力団体」・・・・

人それぞれにさまざまなとらえ方やアクセスとの関係性があると思います。

そこで業務を行う人間にとっては、アクセスは「職場」という側面を持っています。
事務局職員が、職場としてのアクセスをどのように捉えているか、「アクセスという職場」と題して、連載します。

第5回は、 EpisodeⅡとして入職4年目の日本事務局職員・竹内の語りの最終回です。

第4回(EpisodeⅡ)はこちら→ https://access-jp.org/archives/column/workplace-episode2-2

「誠実」と書いてみても、この言葉を考えるとき私の頭にまず思いつくのは、「ごまかさない」「嘘をつかない」ということくらいだ。

アクセス事務局は職員が少ないわりに業務の種類や量はそれなりにあるので、各人に任されることや判断の裁量が大きくなりやすい。いちいち監督されないので、大きい問題を起こさなければごまかしたり嘘をついたりすることは比較的しやすい。一方で、なにかトラブルがあった時に自分で解決しなくてはいけないことが増えるし、良くも悪くも自分で決めたり進めたりしなければならないことが多い。責任者ではないけれど、問題が起こった際の後始末を自分でせざるをえなくなる。

対外的になにか問題が起こり対処しなければならない場合、「誠実な対応」というものが世間一般的には求められる。この「誠実な対応」とは「まず謝ること」、とりあえず非がこちらにあるということを示しておくことだと、入職当初の私は思っていた。

だが、アクセスで会員・サポーターや取引先、関係団体などとの間に生じたいろいろな問題にぶつかる中で、「その場しのぎの謝罪をせず、非があるかどうか、どうして問題が生じたのかをきちんと見直す」、「非があれば、改善策を考えたうえできちんと謝罪する」、「こちらのアクションに相手から批判を受けたりしても、そのアクションをするに至ったこちら側の考えをきちんと説明する」、そして「こちらにできること・できないことをはっきりと述べる」という対応をする森脇さんや野田さんの姿を見て、相手の事情とこちらの事情を突き合わせ、落としどころを見つけながら協働をしていく「誠実な姿勢」というものを学んだ。実際に、怒りを抱きながら不満を向けてくる関係者に、こちらが考えていることや行動の理由などをきちんと説明した上で、さらに足りないこちらの至らなさを謝罪すると、関係が維持されたというケースを私自身いくつも経験した。

12月、阪急うめだ本店スーク文具店さまにて、展開されているアクセスのクリスマスカードたちと共に。

このような「誠実な対応」は外向きのものだけではなく、内部の人間関係にも存在しているように思う。

3年の勤務の中で、私は今いる3名の職員すべてに、面と向かって「ごめんなさい」と言われた経験がある。断っておきたいのは、私が超いい人で謝る理由をつくったのが他の3人だったということをここで言いたいわけではない。私が言いたいのは、私が傷ついたり不満を覚えたりした際、一職員でしかも最も年下の私に対しても、自分の言動について内省し、自分の非だと捉えた時、謝罪の言葉を面と向かって丁寧に伝えることができるような、誠実さと強さを持った人たちが、事務局にはいるということである(ちなみに、私にはこの強さを持ちきれていない)。そしてその時にも、「どうして自分がそのような言動をとったのか」「自分にはできることとできないことがある」ということを伝えようとする姿勢が感じられた。

最初に挙げた「ごまかさない」「嘘をつかない」というのも含めて、「誠実である」ためには、自分がどうしてそのような言動をとっている/とったのかについて、自分自身である程度分かっていないと、とても難しい。そして、自分の言動の発端について知るためには、その根元にある自分の価値観が分かるということで、そしてさらにその価値観の下にあるのが、自分の「感覚」なのだろう(自分の意思とその根底にある価値観や感覚については、私が学生時代から愛読しているある研究家の本で図とともに紹介されているのを読み、深く共感したのを覚えている)。

学生のころから、私はよく「気持ち悪い」という表現を使っていた。誰かの発言や意見や行動に対して、「よくわからないけどとにかく気持ち悪くて私には受け入れがたい」と感じた。昔は、言葉で自分の気持ちや意見を論理的に言うことのできる人が周りにたくさんいて、それができない“感覚的”な自分は劣っていると思っていたものだった。でも、上に紹介したような本に出会ったり、「私が『気持ち悪い』と感じている」ということを理解してくれるような人たちに出会ったりしていくことで、今になってやっと、私の身体が肌感覚として全身で感じている「気持ち悪い」を大切にすること、そしてそれを自分の中にある言葉を駆使して相手に伝えようとすることを、大事にできるようになってきている。

フェアトレード事業部のボランティアさんが書いてくれた私のイラスト。なぜ「女神さま」と呼ばれているのかはよく分からないが、今の私は少なくとも、18歳の時から少しは成長しているはず・・・・たぶん。

さまざまに変化が起こり、毎日のように大小の問題が発生する日々の生活の中で、その時その場においてなにが正しく、どのような判断が正解なのかということは、きっと誰にもわからない。だから、「自分に誠実である」ということの他に方法はないのだな、と最近はとても強く感じるようになっている。

これまでの人生でもそうだったがアクセスに入職してからも、「アクセス職員としての私」として人前に出るときは、「アクセス職員としてあるべき姿の私となり、行動し発言しなければならない」という風にずっと気を引き締めていたし、「アクセス職員として”正解”である言動」を探しながら仕事に従事してきたように思う。それが、職業人としてのプライドは持ったうえで、自分の行動原則を「他者から見た時の”正解”」を軸にして考えるのではなく、自分の心と感覚と脳みそを羅針盤にして見て考えてよいのではないか、と思えるようになってきたのは、ほんのここ半年くらいのことだ。きっとそれは、「2.アクセスでのエンパワメント」で書いたような経験や、心理療法による治療の結果、そしてさまざまな場所や場面で私の人生に関わってきてくれた人々、友だちや仲間の存在に拠るものだと思う。

私はどういう人でありたいのか。何に不快感を抱き、何に怒りを感じ、何が許せないのか。楽しいことはなにか。気持ちの良い状態とは何なのか。面白くないことは何か。なにが「気持ち悪い」のか。守りたいものはなにか。大切にしたいことはなにか。

今挙げた問いの中で、今の私にはまだ答えられないこともある。だが、答えは必ず私の中にあるはずだと思っている。きっと、自分が痛みを伴って経験してきたことの中に。満身創痍になって学んだことの中に。友だちや仲間との何気ないひと時の思い出の中に。今日の私は、昨日まで生きた私の集大成である。明日というものは、私にとってだいたいとても暗いものだったし、これからも暗いことがたくさんあると思う。それでも、自分の人生のハンドルを、自分で握りたい。

自分が迷っているときは、「『アクセスの職員』である前に、私は『竹内彩帆』という一人の人間なんだよ」と、自分に言い聞かせたい。

「アクセスの10年後に、一ミリも関心がない」。「1.仲間がいない。」で私はそう書いたし、それは今も全く変わらない。でも、自分や自分の生き方に誠実でありたいとするような考え方は、アクセスの在り方やアクセスがフィリピンや日本の人びとと共に目指していきたい生き方や社会に、さほど相違してはいないように思う。

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アクセスに勤務する3年の間に感じてきた、アクセスの、そして自分自身の澄と膿を吐き出した、竹内。

アクセス日本事務局を「はたらく場所」として捉える連載は、アンカー・事務局長の野田にバトンが渡されます。

「アクセスという職場:EpisodeⅠ~職員・野田の語り~」は、コチラ

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